喪失を許容できない事は、“刀剣男士”として致命的な欠陥であると和泉守兼定は考えている。
この腕は敵を斬る為に与えられた。この足は戦場を駆ける為に与えられた。歴史修正主義者と戦う為に、この器は与えられたのだ。人間ごっこを楽しむために顕現した訳では無い。戦い、そうして歴史を護って散る事こそが本懐なのである。そもそも。刀剣男士は誰も彼もが“分霊”だ。共に戦った同胞を失ったとしても、折れても同じ刀を顕現すれば良い。人間とは違うのだ。練度も、共に過ごした記憶を失ったとしても“おなじもの”である限り、本当の意味での離別とは呼べまい。刀剣男士は替えの利く道具であり、それ以上でもそれ以下でもない。
だと云うのに、ただ一人を失う事が耐えられないのはどうした事だろう。
これが他の誰かであれば、その死を飲み下せるという自負がある。それがどんな形でもたらされたものであろうと、悼み、怒りはすれど自身を見失う事は無い。例えそれが大恩ある山姥切国広や、多大に借りのある今の“主”の死であろうとも、“和泉守兼定”としての己を見失う事無く在り続けられるだろうという、そんな確信さえあった。
けれど。
――ごめんね、兼さん。
堀川国広。前の審神者の元、何度となく失った――和泉守兼定の、相棒。
かつて、彼が土方歳三の刀であった頃には常に、共に在り続けた存在だった。以前の審神者に顕現された折には、和泉守がなんとか折れないで戦っていける程度に練度が上がるまで、影に日向に彼を助け続けてくれた。身を挺して危ない橋を何度も渡って、そうしてある日、自ら折れた。もう助けてあげられそうにないや、と苦笑を残して折れた堀川国広が、何を思ってそこまで尽くしてくれたのかを和泉守は知らない。
それでも「なんだ、自分が折れる方を選んだか」と“新しい堀川国広”を連れてきた審神者が何処かつまらなさそうに呟いた言葉は、何があったのかを察するには十分だった。
それからの日々は、忘れようにも忘れられない。これからも、折れるまで。忘れる事など有り得ない。
堀川国広は何度も来た。何度も折れた。何度も死んだ。何度も失った。彼が手にかける事もあったし、手にかけさせられた事もあった。前の審神者が死ぬ少し前辺りには、見付ける度に折るようになっていた。
顕現されるよりは、と。本気でそう思っていた。
かつての主、土方歳三のような高潔さ、高き志など前の審神者には欠片も無かった。人の醜さを嫌というほど理解させられた。相棒である彼を守る為に、もう苦しむ事が無いように。そんな手段でしか、守れなかった。
「――和泉守」
背後から、彼の名が呼ばれる。思考が途切れた。
思い出すたび、腹の底に黒いものが蟠る記憶。だというのに、ふとした瞬間に忍び寄ってくる。繰り返して思い出す。苦い感情を伴って、頭を占める。胸を掻き毟って叫び出したくなる衝動を、何と呼べばいいのだろう。
怒りも憎しみも悲しみも諦めも、和泉守は知っている。それでも未だ、その衝動をなんと呼べば良いのかが分からない。己の本体を叩き折りたくなる感情が、何を意味するのかが分からない。理解できない。ただ、腹の底に蟠ってつめたく凝る。ふ、と無意識に詰めていた息を吐き出して、かぶりを振った。意識を切り替える。
「ンだよ、清光」
声をかけてきたのは、同室の加州清光だった。
かつての主人が新撰組であった者同士。いつしか共に行動するのが当たり前になってしまった、和泉守の仲間。
振り返って問うも、清光の視線が和泉守へと向けられる事は無かった。彼の視線は、今まさに指先に施している最中の爪紅だけを凝視している。まるで、その他のものを視界に入れたくないかのように。
否、視界に入れたくないのだろう――つい先刻まで和泉守が向き合っていた、未顕現の脇差を。
穏やかですらある口調で「いっこ聞いときたいんだけどさぁ」と前置きして清光は続ける。
「その堀川、どうすんの?」
「――」
どうするか。
どうすればいいのか。
そんな事は、和泉守の方が教えて欲しいと思っている。
以前の審神者に顕現され、生き残ってきた仲だ。当然、和泉守が堀川を折り続けていた事を知っている。まとめ役であった山姥切国広もまた、その事を知っている。知っていて、彼等は和泉守の行動を黙認していた。
今の主が何処まで把握しているのかは、和泉守の知るところではない。それでも、彼等を率いる審神者が何も気付いていないはずもなかった。「まだ決定事項ではないんですけど」と前置きし、主はこう告げた。
「堀川国広を、顕現しようかと考えているんです」
いつかは来るだろうと考えていた。歓迎できると思っていた。堀川国広は、さして入手の難しい刀ではない。主があまり男士を顕現しない性質だからこその現状であって、顕現するか否かとて、本来なら主の胸三寸で決まる事。
初めましてから、今度こそまっとうにやり直せると思っていた。“和泉守兼定”として、“堀川国広”と、もう一度。
――挨拶をして、手を差し伸べて。それで。……それで?
愕然とした。その先に何もない事実に。
更に酷いのは、その首を掴んで地面に引き倒して叩き折る自分の姿はありありと思い描けた事だ。“普通”に“仲良く”やっていけるはずなのに、そんな酷い想像ばかりが頭を占める。顕現されてばかりの頃にはまだ清光に対するように、否、それよりも親密に寄り添っていたはずなのに、それすら思い出せなかった。
気付けば、主にやめろと叫んでいた。
仕える主人に掴み掛っていた己の醜態は、正直思い出したくも無い。主はきっと、そうなる事を予想していたのだろう。だからわざわざ、和泉守にその話をした。彼がどう反応するかを見定めておく為に。
「……そうですか。分かりました」
数瞬、確かに理性を飛ばしていただろう彼の行動に、主は動揺の欠片も伺わせなかった。
ただ、少し困ったように眉尻を下げて和泉守の懇願を受け入れた。
けれど、それだけでは終わらなかった。終わらせてくれる、“主”では無かった。
「その堀川さんはお預けします。彼をどうするかは、和泉守さんが決めて下さい」
やさしい声音で残酷な“お願い”を口にした主に、頭が真っ白になった。
そのくせ、和泉守の手はその“堀川国広”を手放さなかったのだから笑える話だ。
「私は今後、その“堀川国広”以外を顕現する気はありませんから――それだけ、覚えておいてください」
やわらかに目元が撓む。淡い笑みを浮かべたその唇は、最後まで“堀川国広”を守れとも、大切にしろとも命じてくれなかった。何処までも許す、穏やかで優しい眼差しだった。その慈悲に、胃の腑がずん、と重くなる心地がする。
何度も手に取った、“堀川国広”の脇差。もう来ることの無い、最後の。
――折れば。折ってしまえば、目の前で喪う事は二度とない。
「……ま、和泉守の好きにすればいいと思うけどさあ」
そんな和泉守の内心など素知らぬ様子で、清光は塗りたての爪紅へ息を吹きかける。
「うちに新撰組の刀が揃うの、この先も無いんだろうね」
現在顕現できる、新撰組の刀は自分達を除けば残り二振りだ。
局長の愛刀、“長曽祢虎徹”。
そして加州清光同様、沖田総司の刀として知られる――“大和守安定”。
“今の”俺がいる間は、安定を顕現しないで欲しい。清光はそう、主に懇願したらしい。そうしてそれは叶えられた。
清光のようにできたら良かったのだろう。けれど、できない。和泉守兼定は、どうしたって堀川国広を諦められない。壊し方しか知らない癖に、その喪失を受け入れられない。己の未練がましさに、反吐が出そうだった。
(なぁ、土方さん。オレぁ、どうすりゃいい)
答えは、出ない。
それしか知らない
「山伏さんごめんなさいご兄弟約一名会えないフラグ立てましたほんと悪かったと思ってる」
「うむ、主殿。さっぱり話が見えんのである!」
「まじでか」
「だから謝罪から入るのは止めましょうよって言ったじゃありませんか」
「省いていい話は省いていいかなって……はいごめんダメな話ですね反省してます。ごめんて。
えーっと。……和泉守さんに未顕現の堀川さん預けちゃったんで、国広派が今後増えるかが和泉守さん次第になりました……」
「……、……うむ。日々此れ修行。拙僧、そのお言葉を笑い飛ばせるほどに強くなりたく」
「いろんな意味で苦労かけてる件については大変申し訳なく……」
「カカカカ! なあに、同胞すら救えずして何が衆生済度か!!! 主殿はどんと構えておれば良い!!」
「わぁ山伏さん頼もしー」
「空元気な気もしますが……」
「シッ! こんさんそゆこと言っちゃいけません!」
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