例え正月だろうとも、歴史修正主義者がそれで攻勢を差し控えるはずもなく。
 そうである以上、迎え撃つ審神者達と刀剣男士にも正月休みなどあるはずもない。

 ――まぁ、そんな世知辛い事情関係なしに彼の所属する本丸は正月とか無かった訳だが。

 年末から年明けにかけての大騒動で、本来ならば休むべき正月三箇日などはとうに過ぎ去った。政府中枢まで巻き込んでの一連の事態に、この本丸の主たる審神者がしっかりガッツリ関わっていたのだから当然と言えば当然の成り行きである。そもそも本丸に戻る事すらできない可能性もあった身としては、しみじみと刃生の素晴らしさを噛み締めるばかりだった。

「さァけぇはのぉーめのーめ、のーむならばぁー……っとぉ」

 黒田節を口ずさみながら眺めるのは、主の趣味に合わせて整えられた本丸の庭だ。
 見渡す限りの真白の上に、ぽつり、ぽつりと首級のように鮮烈な赤い椿が落ちて彩りを添えている。雪の合間から覗く葉の艶めいた有様は、何処か鈍く輝く刀身を連想させた。あちこちに配置された作り手不明の雪だるま達が、奇妙に愛嬌と存在感を主張している。
 障子を開け放ってあるので空気はひんやりとしているが、背中を火鉢で炙っている為だろう。寒さはさほどでもない。ちびちびと果実酒を舐めながら、日本号にほんごうは顕現して以降初めてと言って良い休暇を心から楽しんでいた。

「日本号、ちょっと匿ってくれ!」
「あ゛ん?」

 勢いよく飛び込んできた御手杵おてぎねに、日本号は思わず片眉を跳ね上げる。
 しかし何事かと問うよりも、御手杵が部屋を突っ切って押入れに収まる方が先だった。すこーんと開かれすぱーんと閉められた襖の向こうから、「俺はいないって言っといてくれな!」と必死な声が念押しする。
 首を捻りながらも「おお……?」と生返事でとりあえず了承すれば、さして間を置く事もなく日本号の耳に聞こえてきたのは誰かの足音だった。
 縁側から廊下を覗き込んでみれば、こちらへ向かって歩いて来ていた蜻蛉切とんぼぎりと目が合う。

「日本号か。……随分呑んでいるようだな」
「おう、今日は内番も無いしな。折角だ、お前さんも一杯どうだ」
「自分は遠慮しておこう。それより、御手杵殿を見掛けなかったか?」

 問われた言葉に、思わず押入れの方へ向かいそうになった視線を押し留める。
 一応匿うと請け負った手前、舌の根も乾かぬ内に御手杵を売り渡すような真似は流石にできない。何故逃げているのかという疑問はあるが、それはそれだ。「あー……どうだったっけな……?」とガシガシと頭を掻いてとぼけてみせるも、蜻蛉切の眼差しはじっと日本号の挙動を、表情を観察するそれであった。

(やべえ)

 穏当とはお世辞にも呼べまい。
 索敵時のそれを連想させる視線に、背筋をひやりとしたものが過ぎる。
 だが、それもほんの数秒の事。不穏な気配を引っ込ませた蜻蛉切が、目元を和らげて微笑む。

「どうやら邪魔をしてしまったようだな。……ああ、そうだ。休日だからと羽目を外すのはいいが、あまり呑みすぎないようにな、日本号。万一敵襲があった時、槍捌きに障る様では名が泣くぞ」
「……おー、心配すんな蜻蛉切。俺ァ飲めば飲むほど強くなるタチだからな」
「そうか。まぁ、ほどほどにな」

 日本号の軽口に、蜻蛉切は苦笑交じりにそう返した。足音が遠ざかる。
 沈黙。横目に押入れを眺めていれば、すすす、と細く開いた襖から小さい声で一言。

「………………行ったか?」
「おー」

 日本号の肯定に、べちゃりと突っ伏した姿勢でもそもそと御手杵が押入れから這い出してくる。
 やる気無さげなその動きは、匍匐前進というよりはミミズか毛虫の蠕動運動っぽかった。ぐてーんと転がったままで、御手杵が「うえー」と安堵とも苦悶ともつかない声で唸る。

「ありがとなー日本号ぉー」
「礼は要らんから成り行きを話せ成り行きを。なんで逃げてんだよ。なんかやらかしでもしたか?」
「なんもしてないって。俺、蜻蛉切にみょーに懐かれてるんだよ。
 それで任務とか内番がある時以外、大抵あんな具合で張り付かれてる」
「……そういやお前ら、よく一緒にいるな」

 顕現してからというもの練度上げで戦場を駆けているか、さもなければ赤疲労でぐったりしているかという状態が続いていたので正直周囲の人間関係など気に留める余裕も無かったのだが、言われてみれば、と日本号は顎を撫でながら天井を見上げた。いや。あれは一緒にいると言うより、蜻蛉切が御手杵に付き従っている、と表現した方がしっくりくるか。ともあれ、彼等が共にいる時はいつもそんな感じだったように思う。
 蜻蛉切の御手杵への対応は、考えてみればおかしな話ではあった。

「蜻蛉切、主にするのと同じくらい俺にも仰々しいんだよな。
 あいつが嫌いって訳じゃないんだけどさ、どうにも息が詰まって仕方なくってなぁ」
「それで逃げてたって訳か」
「日本号と物吉ものよしも来たし、ちょっとはマシになると思ったんだけどなー……」
「待て、俺らを盾にしようとしてたのかお前」
「意味なかったけどな!」

 日本号は無言でサムズアップした御手杵の頭を叩いた。
 「へぶっ」と叫んで畳にキスをする御手杵に鼻を鳴らして果実酒を呷る。何気に顕現当初の熱烈歓迎は嬉しかったのだ、このくらいの報復は許されて然るべきだろう。純粋に歓迎してくれたんじゃなかったのかよこの野郎。
 餅やら蜜柑やらがどっさり乗ったお盆を抱えた博多はかたが、「たっだいまー」とひょいひょい日本号の腕やら御手杵の頭やらをまたいで一直線に火鉢の下へと駆けて行く。

「うー寒かねー。おいしゃん、なして障子閉めんの?」
「閉めたら雪見酒になんねぇだろうが。寒いんなら厚着しろ厚着」
「厚着すると動きにくかばい。火鉢こっちに寄せるけんね」

 火鉢をずりずりと自分の方へ移動させながら、博多がへたれている御手杵の姿に首を傾げる。しかし、すぐに察しがついたらしい。「また蜻蛉切から逃げとーと?」と苦笑いを浮かべた。
 その気安い様子に、(そういや、こいつら同時期に顕現されたんだったか)とひとりごちる。火鉢に網を乗せて餅とみりん干しを並べていく博多の横で身体を起こしながら、「おー、ちょうど出くわしたから匿ってもらった」と御手杵がへらりと疲れた顔で笑った。

「主んとこは駄目やったと?」
「真っ先に行ったけどダメだあれ、兼定揃い踏み」
「うっわ、そりゃきつかねー。ご愁傷様ばい」
「なんだ、兼定が揃ってると駄目なのか」

 博多から受け取った蜜柑を剥きながら問えば、二人は揃って頷いた。

「そうだなぁ、和泉守は問答無用で叩き出されるし」
「歌仙は逃げ回るなんて雅やなかって説教しだすけんね」
「主の前でなきゃ、鉄拳制裁も付いてくるんだよなあ」
「って経験済みかよ」

 半眼で突っ込みながら、日本号は酒瓶に伸ばされた御手杵の手をぺしんと払いのけた。
「うえー。なんだよ、いいじゃんちょっとくらい」と唇を尖らせて抗議する御手杵を「駄目だ」と切り捨て、剥いたばかりの蜜柑をその手に押し付ける。この食いしん坊の“ちょっと”が信用できない事は、顕現されてまだまだ日の浅い短い日本号でもよく理解していた。

「いいか、餅も蜜柑もみりん干しも食っていい。だが酒はやらん。分かったな?」

 ずびしと指を突き付けて宣言すれば、御手杵は悲しげに「うえぇ……」と呻いた。しょんぼり垂れた犬耳の幻覚でも見えそうなくらい情けない顔だったが、日本号の心は動かなかった。
 そもそも、この果実酒は主手製の林檎酒なのである。文字通り折れるまで働いた褒美として貰い受けた希少品なのだ、そう気前良く分けてやれる程の量も無い。まあ、量があっても御手杵に振る舞ったかどうかは怪しいが。
 ぴし! と勢い良く挙手をして博多が「はいはいおいしゃん! 一口! 一口だけならもらってよか!?」と元気よく問う。その言葉に、日本号は蜜柑を食べる御手杵を見て、網の上で膨れる餅とじりじり焼かれて反っていくみりん干しを見た。うむ、と鷹揚に頷き重々しく告げる。

「一口だけだぞ」
「日本号けちくせえ」
「うるせぇ蜻蛉切呼ぶぞ」
「ごめん日本号俺が悪かったです、だから呼ぶのは勘弁!」

 分かればよろしい。日本号は大仰に平謝りする御手杵に鼻を鳴らした。
 日本号のぐい飲みから果実酒を呷った博多が、「くぁー! うまかねー!」とおっさんみたいな感嘆を上げる。羨ましそうな目でじぃいいと見詰める御手杵の存在は完全スルーな辺り、そこはかとなく慣れを感じなくもない。

「いっそ主からびしっと言ってもらえよ。そうすりゃ付き纏われずに済むだろ」
「うーん」
「それですぱっと万事解決なら苦労せんばい。おいしゃんはデリカシーってもんば学んだ方がよか」
「面倒くせぇなあオイ」

 がりがりと頭を掻いて憮然としながら、返されたぐい飲みを呷る。
 甘口の、おそろしく口当たりの良い酒は主の手製である為だろう。顕現された器に沁みる霊力で満ちている。しかしその酒の旨ささえ、ささくれた気分を癒すには至らなかった。人間の心とは、まったくもって扱い難いものである。そもそも、何故お悩み相談会みたいな様相を呈してきているのだろうか。そういうのは主の所でやって欲しい。
 日本号の言葉にへにゃりと眉尻を下げて、御手杵は二つ目の蜜柑を剥きつつ肩を竦めた。

「まぁ、時々匿ってくれればそれでいいよ。
 蜻蛉切とつるむのが嫌ってわけじゃないからな……たまに逃げたくなるだけで」
「おいしゃんの雑さの一割でも蜻蛉切にあればよかやろうに、うまくいかんね。
 爪の垢でも煎じて飲ませてみっと? 少しは適当になるかもしれんばい」
「おいこら博多」
「それはいくらなんでも可哀想だろ。絶対腹下すぜ」
「てめぇこの野郎」

 日本号に頭を締め上げられ、御手杵がわざとらしくきゃあきゃあと騒ぐ。
 それにけらけらと笑う博多にますます憮然としながらも、日本号は我知らず、頬を緩ませた。
 顕現されて約一ヶ月。戦は過酷であろうとも――この本丸で過ごす日々に、彼はおおむね満足している。

日本号の、出遅れ正月。


「おや蜻蛉切、一人とは珍しいね。御手杵に振られてしまったのかい?」
「……青江あおえか。どうやらそのようだ」
「たまに構われ過ぎた猫みたいになっているからねぇ、彼。時には退く事も大事さ。……人付き合いの話だよ?」
「以前の御手杵殿には、一方ならぬ恩がある。
 それに少しでも報いたい。それだけなのだが……どうにも、侭ならん」
――昔と、混同でもしているのかな」
「……どうだろうな。自分でも正直、よく分からなくなるのだ。何がしたいのか」
「ま、好きなだけ悩めばいいんじゃないかな。切っ先が鈍らない程度にね」
「そう、だな。……青江、これから手合せに付き合ってもらえるか」
「ッフフ、せっかちだねぇ。いいさ、丁度暇してた所だ。気が済むまで付き合うよ」




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