旭海賊団頭領。
 奴隷の英雄。
 血塗れの革命家。
 天竜人の怨敵。
 世界最年少の犯罪者。

 他にも数多くある“リトル・モンスター”の肩書き、二つ名の多さはそのまま政府や世間による、彼女に対しての評価を象徴している。悪評の方が多いのは、一般に“犯罪者”と呼ばれる者としては至極当然と言えるだろう。
 その事について、ジャブラにさしたる感慨は無い。それらは全て「」と名乗る海賊の一面でしかなく、わざわざ海賊団に潜入せずとも得られる程度の情報でしかない。

 彼の任務は、潜入に伴う情報収集。
 得たそれらを精査して政府へ流し、可能ならばを暗殺する。
 場合によっては内部分裂を誘う事もまた、彼の任務の一つであった。

 ――の、だが。

「…………」

 わいわいわいわいぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。

 旭海賊団の朝は、遅い者でも恐ろしく喧しい朝食から始まる。
 なにせ、既に船団と呼んでいい程度には人数の多い海賊団なのである。朝食の準備から食事、それに片付けまでひっくるめてが毎食毎食ちょっとしたイベントの有様だ。慌ただしくコックや手伝い当番の者達が歩き回り、怒鳴るような声量での会話が飛び交う。特によく通るのは、やはり料理長たるカルトレイメの声だろう。
 女性としては低めのハスキーな声が、「あんたら好き嫌いすんじゃアないよォ!!」と彼にとっても早々にお馴染みとなった台詞を楽しげに響かせている。

「頭領頭領、こっちこっちー!」
「今日は頭領ここー!」
「とうりょー、ごはんあげる! あーんしてー!」

 そして肝心の頭領はと言えば、ちびっこに囲まれて世話されていた。
 未だに慣れない光景である。がなまじ小柄で綺麗な見目をしているだけに、子ども達が等身大の人形でままごとに興じている光景に見えなくもない。ただしそのお人形めいた人間は“リトル・モンスター”の名を冠する五億四千万ベリー(最近上がった)の億越え賞金首様であった。最初見た時は開いた口が塞がらなかったものである。
 手を引かれるままに座り、差し出されるままに黙々と朝食を口にしている
 子ども達もタイミングを心得たもので、飲み込んだのを見計らって、待機していた次の子どもが目を輝かせながらその口にスプーンを突き出す。それを食べるのを見て満足気に笑いながら自分も朝食を食べつつ、次の出番をうかがっているのである。ほのぼのする光景だった。光景だったが――世話される人物が人物だけに、どうにも違和感ばかりが募る。高額賞金首とはいったい何だったのか。

「ジャブラちゃんどうしたんですー? なんか苦手なものでも入ってたでちか?」
「ぶっふ、ジャブラだっせえ! おまえイイ年していまだに好き嫌いあんのかよ!」
「ンな訳ねぇだろがゴルァアアア!!!」
「ああ゛んやんのかゴルァアアア!!!」

「ケンカすんじゃあ無いよそこォ!! 大人しくメシも食えないのかい!!!!」

「男というのは馬鹿じゃのう」
「ホントそうねぇ、姉様」
「あ、ハンコックちゃんにサンダーソニアちゃんおはようでちー。マリーゴールドちゃんはどうしたでち?」
「ウフフ、おはようリプラ。マリーなら、今日は食事の手伝い当番よ」
「お早うリプラ。うむ、カルトレイメ料理長の技は今日も惚れ惚れするほど冴えておるな」

 オタマと皿の直撃を受けて悶絶する視界の端で、投げつけられた道具類が見習い料理人達によって粛々と回収されていく。未だに痛む頭を擦りながら顔を上げれば、そこにはご尊顔も麗しい美少女が二人と、兎耳をぴこぴこと揺らすミンク族の少女が一人。「クソ……加減がねぇ……」と呻きながら、のっそりと手長族の青年が起き上がった。

 ハンコック、サンダーソニア、リプラ、ユーデル。

 全員が旭海賊団の戦闘員であり、同年代でも頭一つ二つ飛び抜けて強い者達だ。
 ジャブラが彼等と誼を通じたのは、無論意図してのものである。それなりに組織としての体裁は出来上がっているが、旭海賊団は未だ発展途上の海賊団。このまま政府の、海軍の手にかからず生き延びたとすれば、更にその勢力は拡大していくだろう。今後旭海賊団の中枢に喰い込んでく上でも、幹部候補とでも呼ぶべき彼等と何らかの関係を築いておく事は必須である。
 そのままの流れで揃って食堂の一角に陣取り、共に朝食をかき込みながら“仲間”達に問いかける。

「なァ。前々から気になってたんだけどよぉ、何で頭領はガキ共に世話焼かれてんだ」
「なんじゃ、今更それを問うのか」
「あー。そういやお前、まだウチ入って五ヵ月くらいだったっけか?」
「んなにいねーよ。三ヶ月だ」
「の割には、結構馴染んでるでちよねジャブラちゃん」
「どうしてかしら。結成当初からいたような気さえするわよね」

 そりゃあそうだろう。ジャブラは口には出さずに呟いた。
 どちらかといえば暗殺の方を主とするが、彼とて政府が誇るスパイの一人。その場に馴染めず、溶け込めずして諜報活動なんぞできるはずもない。まぁ、どうもここの空気が性に合っているのかやたらと馴染みやすかったのも確かなのだが。苦労している事を挙げるとすれば、彼に乗船許可を出した、現在直属の隊長でもあるテール翁の気難しい皮肉屋振りくらいだろうか。なんでああも嫌味ったらしいんだあのくそジジィはよ。

「頭領は世話焼かねえと、マトモにメシ食わねぇんだよ」
「身嗜みにも気を払わぬしな」
「いや、だからってあそこまで介護する必要あるか?」

 現在進行形で世話を焼かれているの方を顎で示せば、ユーデルが大袈裟に肩を竦める。
 それに困った御方だ、と言わんばかりの優しい表情で苦笑して見せるハンコックに、ジャブラは首を捻りながら突っ込んだ。“リトル・モンスター”の、旭海賊団を結成するまでの足取りは完全な空白だ。幼くして手配され、マリージョアを襲撃するまでのそれなりに長い期間、がどうやって生きてきたのかは誰も知らない。
 だが、少なくとも碌なものでは無かっただろう。賞金狙いの連中に、海軍の存在もある。更にはあの容姿だ。最古参らしいニョン婆に早い内に保護されたと仮定しても、相当に生き辛かったはずである。食事まで介助を必要とするレベルな人間が、ここまで生きてこれたはずは無いのだが。

「あるからああなのよねぇ……」
「ほっとくと返り血塗れでそこらへんに転がって寝てるでちよ」
「着替えもしねーしな」
「野生動物かよ」
「頭領を侮辱するでないわ馬鹿者めが! あの方はそんな些事に拘られぬというだけよ!!」
「っぶね! てっめクソアマやるなら相手になんぞゴルァアア!」
「まーまージャブラちゃん落ち着くでち。ほーら息吸ってー吐いてー」
「姉様姉様、カルトレイメ料理長が見てるわ」
「むう」

 やばいと思ったらしい。妹の忠告に、ハンコックが割合素直に腰を下ろした。
 ジャブラとしても二度目の説教(物理)は嫌だったので、大人しく同じように腰を下ろす。カルトレイメの一撃は地味に痛いのである。しれっと覇気を使っているのは言うまでも無い。憮然とする二人を余所に、「でも、懐かしいわ」とサンダーソニアが頬を緩ませた。

「昔はもっぱら副長が世話焼いてたわよねぇ」
「今もそう変わんねぇだろ。あのお人を止められんの、副長しかいねーからなー」

 相槌を打つユーデルは、どことなく悔しそうだ。
 彼等の頭領について語るその言葉に宿るのは、深い親愛と敬意の念だ。ジャブラには未だによく分からないが、初期から旭海賊団にいる者達はえして“リトル・モンスター”に対して強い忠誠心を抱いている。
 そんな彼にとって、もっともの信頼を勝ち得ている副長――タイガー・フィッシャーが妬ましいのは当然と言えば当然の話である。無表情に「あーん」をするをちらりと見やり、何とはなしに脳内で子どもを副長に置き換えてみたジャブラは思わず真顔になった。犯罪臭はんぱない。
 頭を振ってその妄想を追い払い、「……で、なんでガキ共が世話するようになったんだよ?」と強引に脱線した話を戻せば、リプラが長い兎耳を揺らしながら「んー」と眉根を寄せて答える。

「確かあれはー……そうだ、魚人達が大量加入した辺りじゃなかったでち?」
「ああ、あれな。アーロンとかジンベエ達が来た頃」
「あの頃の副長、頭抱え通しだったわねぇ」
「あ奴ら、昔からどうにも他種族に対して頑なな所があったからの。
 昔馴染みの誼で副長が尻拭いに駆けずり回っておったわ。あのような頑固者共、放っておけば良かったものを」
「結局アーロンちゃんが盛大にやらかして頭領に半殺しにされたでちよねぇ」

 顔を顰めてハンコックが鼻を鳴らし、リプラが馬鹿な真似をする、とでも言いたげに目を細めた。
 ムニエルを豪快に骨ごと噛み砕いて流し込みながら、ユーデルがしみじみと述懐する。

「疲れた顔してる副長見兼ねて、ガキ共が率先して頭領の世話焼き始めたんだよな」
「一人がやり出すと、後は続いて自分も自分もってやりたがり出していつの間にか――って感じよね」
「頭領は、幼子には特別お優しくていらっしゃるからの。くっ……何故わらわはダメなのじゃ……!?」
「とは言うですけどハンコックちゃん、頭領の前だと緊張しすぎてポンコツになるでちよね?」
「うぐぅ」
「あれでもだいぶ柔らかくなったんだぜ、頭領」
「マジかよ」

 旭海賊団に潜入して三ヶ月。
 “リトル・モンスター”は、ジャブラにとって未だに理解できない存在である。
 確かにジャブラは下っ端で、頭領であるに気軽に接触できる立場に無い。だがそれを差し引いたとしても、はひどく読みづらい人間であった。表情は常に凪いでおり、ほとんど語らず、その行動の意図も読めない。硝子玉のような瞳は、ぞっとするほど人間味に欠けている。
 あれで柔らかいと言われても、何がだ、と返すしかないのが現状だった。しかしユーデルは、ジャブラの返答を違うように捉えたらしい。むっとした顔で、びしっ! とスプーンを突き付けて鼻息も荒く憤慨する。

「てめぇジャブラ、頭領のヤバさ疑ってんじゃねーだろうなあ?
 いいか、頭領はマジでつえーし超やべーんだぞ! 向かうところ敵無しだからな! 一人で軍艦沈められるんだぞあの人は! しかも怪我一つしない!! 海軍なんて敵じゃねえ! どうだ、頭領は無敵だろ!?!」
「うっぜぇええ! 暑苦しいんだよ顔近付けんな! 離れろやくそがァ!!」
「ダメでちよユーデルちゃん、ここはやっぱり具体的なエピソードが要りますー。
 海王類仕留めてくるのはー……もう見たでちたねジャブラちゃん」
「あー、まあな!」

 おそらくは独学だろう“月歩”に、顎が外れかけたのはそう昔の話では無い。
 力いっぱいユーデルの顔を押し返しながら頷けば、うきうきるんるんと目を輝かせながら「頭領の凄さを語るなら、やはりマリージョアを襲撃した際の話ではないか?」とハンコックが言い出した。やめろその話は絶対に長い。

「あら姉様、やっぱり体感するのが一番よ!
 次の島でなら、ジャブラもちょっとは頭領の凄さを感じられるんじゃないかしら」
「えっなんでちなんでち? なんか情報仕入れてます!?」

 笑いながらのサンダーソニアの言葉に、ぴーんと兎耳を立ててリプラが身を乗り出す。
 それに「ああ、そうじゃな」とハンコックが頷き、得意げに言葉を継ぐ。

「ニョン婆から聞いたのじゃが次の島、どうやら長年王族による圧政と搾取が行われているらしくての」
「……それ、副長が下ろしたがらないんじゃね?」
「ふ。だからそなたは馬鹿なのじゃ」
「ンだとゴルァアアアアア!!」
「副長も頭領だけ見てる訳じゃないでちからねー」

 けらけらと笑うリプラに、確かにな、とジャブラは心の中だけで同意した。
 旭海賊団副長、フィッシャー・タイガーは忙しい。頭領のが基本的に放任である為に、実質的な海賊団の運営はタイガーとニョン婆が行っているのが現状である。しかもこの海賊団、多種族がひしめいているせいなのかやたらと揉め事が多いのだ。行き過ぎるとが問答無用で半殺しにしていくらしいが、幸運というべきか不運というべきか、今の所ジャブラはそれを見た事は無かった。

「次の島ねェ」

 リトル・モンスター。その全力、是非とも拝んでみたいものだ。
 その為にどうすべきか――。それについて策を巡らすジャブラはまだ知らない。その島で結果的に、頭領による権力者血祭り惨殺パーティーが開催される事を。戦闘慣れ、死体慣れして久しい自分がしばらく悪夢に魘されるわ、トラウマで肉が食べられなくなるわという無様を晒すという事を。

 そんな未来など、神ならぬ身のジャブラに当然窺い知れるはずもなく。
 旭海賊団は、本日も通常運行で騒がしい。



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