太陽が水平線に沈んでいく。海が、赤く染まっていく。
 焦げ臭く荒んだ空気は、死臭を孕んでひどく気分を萎えさせる。赤色の夕日を受けて染め上げられた大地には、赤黒い陰影になった死体がうんざりするほどごろごろと、埋葬もされず、そこかしこに転がっていた。
 地獄そのもの、としか言いようのない光景。しかしそれらを作り出したのは彼等では無い。――戦時中、ましてや激戦只中となれば、さして珍しい光景では無い。塩水であろうと構わぬとばかり、水を求めて転がり落ちたのだろう。ぶくぶくに膨れ上がって腐りゆく水死体の数々が、波打ち際で折り重なって揺れている。おかげさまでと言うべきか、港は荒事慣れした海賊の彼等にとってすら目を背けたくなる有様だった。

「あー……いつになったら出港できるのかねぇ……」
「ログが溜まり次第に決まってるだろうが。こんな陰気なとこ、誰も長居したくねぇや」
「違いねぇ」

 軽口を叩き合いながらも、口から出るのは溜息ばかりだ。
 それも、仕方のない事だろう。戦争中、秩序などあって無いが如き混沌真っ只中ともなれば、確かに海軍に追われる心配は皆無だ。国軍の心配も、である。事実、堂々と港に海賊旗引っさげて停泊していているというのに兵士一人やって来る気配が無い。略奪も凌辱も殺人も、ありとあらゆる非道が許容される状況。ただしそこに、奪うに値するものなど一つとして残ってはいない。仮に残っていたとしても、この歩く事すら躊躇う陰惨な情景の中では、積極的な死体漁りなど冗談でもする気にはなれなかった。

 故郷の海を発って以来、様々な島を渡り歩いてきた彼等にとっても指折りの惨状。
 気晴らしに暴れようにもそれすらできない。人間の営みなど知らぬとばかり、ここだけは切り離されたように美しい夕日を、酒瓶片手に駄弁りながら眺めて。

――あ?」

 果たして、最初に気付いたのは誰だったか。
 間の抜けた声が上がる。その場にいた全員の注意が、一点へと惹き付けられる。

 何時の間にか。

 そう、本当に何時の間にか。
 船の縁へ。赤黒く塗り潰された地獄を背景に、それは佇んでいた。

「なんだ、テメェ」

 鋭い声で、彼等の中でもいっとう警戒心の強い男が問い質す。
 それはぼろぼろの、薄汚れた布切れを纏ったひどく小汚い子どもだった。
 子どもは答えない。ただ、つ、と。無言で顔を上げた。夕日に照らされて露わになったその面差しに、彼等は思わず息を呑む。綺麗な顔をした子どもだった。汚れていても、一目で分かる程度に美しい少女だった。
 垢を落とし、身なりを整えてやればさぞかし人目を惹くだろう。
 お楽しみに使うには肉付きが薄すぎるが、これならしばらく飼っておくのも悪くはあるまい。
 どう使うにせよ、見るからに高値で売れそうな少女だった。

「へ、こりゃあいい。お嬢ちゃん、こっちに――

 猫撫で声で伸ばされた手が、空を切る。
 するり、ふわり。踊るような、舞うような足取りで、少女が甲板へと降り立つ。

「ばっか、おめぇ何してんだよ」
「え? あれ、いや、おっかしーなァ」

 男が首を傾げる。再度、少女を捕まえようと腕を伸ばす。
 けれど、それすらも空振りに終わる。思わずたたらを踏んだ仲間の滑稽な姿に、誰かが噴き出した。遠慮のない笑い声に、男の顔が赤くなる。歯を剥き出しにして「笑ってんじゃねーよ!」と怒鳴り散らしながら、むきになって少女へ向かって飛び掛かった。
 仮にもグランドラインまで来た海賊である。本気でかかれば子ども一人、捕らえる事など訳も無い。どういうつもりで海賊船に乗り込んできたのかは知らないが、まぁそんな理由は考える必要も無ければ聞いてやる義理も無い。どこでこの少女を金に換えるか、どの島でなら高く売れるかの算段の方が余程重要だった。

 笑いながら彼等が見守るその先で、男の腕が少女を捉える。
 囲い込むように、抱き潰すようにして小さな身体を捕らえた背中が、びくん、と震えて。

「……………………え?」

 仲間の背中。そこから、何本もの触手が、赤くてらてらと濡れた“ナニカ”が生えていた。
 触手が、まるで手品のように消え失せる。思い出したように、鮮血がその背を濡らす。びちゃびちゃと床を汚す。ごとんと重たい音を立てて、その身体が崩れ落ちた。


「「「「「「っっっっっ――――――――――!?!!?」」」」」」


 絶叫が、悲鳴が被さる。全員の産毛が逆立つ。
 少女は依然、そこにいる。まるで身体の調子を確かめるように、己の手を握ったり開いたりしながら。とん、とん、と馴染ませるように足踏みしながら。その様は不格好なダンスのようであり、何処か滑稽なものではあったが――仲間を眼前であっさりと殺されて、それで笑えるはずもない。

「……のっ」

 震え上がった声で、誰かが呟く。

「能力しゃ――

 言葉が途切れた。額に穴を空けて、また、仲間が一人崩れ落ちる。
 敵意は無かった。殺気も無かった。戦意すらも。少女の姿のせいだけではあるまい。現実感も危機感も無く、ただ、まるで悪い夢の中にいるように、ぱたぱたと人が死んでいく。当然のように殺されていく。

 ――なんだ、これは。

 ――なんだ、このばけものは!

 呆然とする彼等を、青磁色の双眸が見渡す。
 無垢な目をしていた。綺麗に澄んだその眼差しは、いっそ無邪気ですらある。
 足元の死体など、何一つ知らぬような顔をしていた。己で生み出した血溜まりを、わるいことだと思ってもいないような顔をしていた。彼等の事すら、ただそこにあるものとしてしか認識していない、透明な眼差し。硝子玉のような。

 そうして場違いなまでに清らかな少女は、おどけるように一礼して。

「はじめまして海賊さん、そしてさよなら永遠に!」


 赤く、紅く、朱く。
 暮れゆく夕日にあかく塗れて。小さな怪物が、嗤った。



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8.5話とかいいつつ実質9話冒頭の海賊さん達視点的な。
レベルも運も足りないとかまぁ死ぬしかないですね?