天辺から甲板へ。
背を覆って流れる鉄色が、陽光に透かされて若草の色味を帯びる。
たっぷりとしたレースと刺繍を施された豪奢なドレスは、青と緑の複雑で微妙な濃淡を幾重にも重ねて作られている。白い肌に鉄色の髪、そうして背後に広がる海。
ドレスが水面の色合いと入り交じって、まるで海そのものを衣装として仕立て上げたかのようだった。
見るも鮮やかな海で総身を飾り立てられていながら、常と変わらぬ表情で黙然と座しているのは彼等旭海賊団頭領、その人だ。可憐さと冷たさを同居させる、幼さを残しながらも整った面差し。ましろい白磁の肌、淡い桜色をした陶器の唇。長い睫が焦点の曖昧な硝子の双眸に、憂いにも似た深みを与えている。
芸術。
その美しさは、あえて形容するならばそういった部類のものだろう。
彼女の為に誂えられたドレス。それが常日頃から人形めいた、の人間味の無さと噛み合って、“かく在るべし”と定められたかのような、一片の瑕疵も存在しない完成された美として存在している。
――の、だが。その隣に頭領(ノーマルモード)がちょこんと並んで座しているのは一体全体どういう訳か。
「はぁあああああああああああんサイッコーだわぁああああああん!!」
並んで座る(×2)の前には、逞しい四本の腕で我が身を掻き抱き、激しく恍惚と悶え転がるニューカマーが約一名。なあにこれぇ……。偶然甲板に居合わせてしまった者達の感想としては、まあ大体そんなものだった。頭領が二人いる謎を考慮に入れても大変眼福な光景には違いない。違いないが、床をごろんごろんして悦に入っている物体(※仲間)には近寄りたくないし話しかけたくもない。
「…………何をしているんだ? ロート」
誰もが遠巻きに見守る中。
ある意味必然というべきか。(×2)の前でエキサイティンッ!! キメてる変質者(※仲間)にいやそーな顔で声をかけたのは、旭海賊団副長にしてまとめ役であるフィッシャー・タイガーだった。
「あらやだ副長決まってるじゃなぁい! 鑑賞よ、か・ん・しょ・う!
見て頂戴なこの可能性に満ちた不安定でありながらも洗練された繊細無垢な美しさを! 後は頭領の分のドレスが揃えば更なる高みに至る事間違い無しよぉっ! あああん気合い入ってきたわぁあああああああ!! でもどうしましょう完全に同じドレスでシメントリーキメるのも捨てがたく思えてきちゃったけどやっぱり予定通り黒ベースに夜明けの海モチーフで朝から昼に流れる形にしちゃうのがベスト・スペシャル・パーフェクトかしらぁ!
ねっね、副長どぉおおおおうっ!?」
旭海賊団技術部隊長、ロート。
元奴隷を主体とした海賊団である為に、旭には船大工以外にも被服、工芸、絵画と多種多様な芸術家、技術者が存在している。そんな彼等を取り纏めているのがこの筋骨隆々たる四腕族のニューカマーだった。気難し屋の多い技術者達を取り纏め、従わせているだけあって芸術に造詣が深く、その審美眼はずば抜けて高い。
しかし同時に、美しいものや素晴らしい技術を前にしての暴走癖の酷さも万人の認めるところであった。どこからどう見てもただの変態です本当にありがとうございます。
「とりあえず落ち着け」
「はぎゃんッ!」
くねくねしながら至近距離でまくし立ててくるロートをゲンコツ一発で甲板へと沈め、タイガーは眉間にしわを寄せたまま、変わらず無言な彼等の頭領を見る。
「、ロートの暴走癖は知っているだろう。止めてやれ」
「……?」
「お前は困らんだろうが、周りが脅える」
「害、無い」
「限度があるだろう。チビ共の教育にも悪い。それに、好きにさせておくと体力が続く限りこうだぞ?」
「……。……一時間。ね」
「それでも充分長い気がするが……ああ、分かった分かった。お前がそれでいいなら構わんさ。それでロート。お前はいつまで転がってる気だ」
「………………この角度もアリねっ!!!!」
床に這いつくばったまま(×2)をねっとりじっくり眺めていたロートが、カッ! と目を見開いて拳を握る。タイガーは無言でロートを蹴り飛ばした。盛大な水柱を立ててロートが海にブチ込まれる。
それを合図にするように、好奇心いっぱい、という顔のちびっこ達を筆頭に、遠巻きにしていた船員達がとタイガーのところへわらわらと寄り集まってきた。
「さっきしゃべってたから、こっちがほんとの頭領ぉー!」
「こっちの頭領しゃべんないんだぁ……」
「ばか、こっちは人形だって」
「ひえええええ、見えれば見るほどそっくりじゃねーか……」
「すごーい、いきてるみたーい!」
「おててつめたいねー?」
「よく出来てんなぁ」
「近くで見ても違いが分からん……どうなってんだ……」
「作り物には到底見えねぇ出来してるなあ」
「つーか副長、なんでモノホンの頭領こっちだって分かったんスか」
「? 確かによくできた人形だが、そんなもの目を見れば一発だろう」
「いやその理屈はおかしいです副長」
「俺等わかんねーっス副長」
「頭領の目とか直視するのも恐れ多いです副長」
「おめめイッショですふくちょー」
「頭領は双子だったのかなぁって思いました副長!」
方々から申し立てられる異論に、タイガーは思わずチベスナ顔になった。とても解せない。
確かには人形めいたところがある。しかし少なくともタイガーにとって、とその人形の違いは口に出すまでもない程に分かりやすいものだった。彼からすれば、分からないという船員達の方が不思議である。
人形の目をじーっと見ていた船員の一人が、「うわ待て今瞬きしたぞ!?!」と叫んでびょいんと跳び上がる。
それが聞こえていたらしい。「ほーっほほほほほ!」と高笑いと共に海から甲板へと跳躍、ずぶ濡れ状態で着地したロートが、ドヤ顔で胸を張った。
「今どうやって戻ってきたんだあれ」「さあ……」「あれだろ、たまに見せる空中キック浮遊」「ああ、あの頭領が空走ってくやつみたいな」「ジャブラ副隊長もできるぞ確か」「マジかよ副隊長クラスから人間じゃねーな」とひそひそ船員達が囁き交わす。
それをまるっするっとシカトして、ロートはびしっ! と天を指差し得意げに鼻の穴を膨らませる。
「技術部隊の精髄を尽くして限りなく頭領と同じになるように作ったんだから当然よぉ!! 瞬きのタイミングがシンクロするように入念な観察と計測の下で作り上げ組み上げた完全なギミックっ! お目々ぱちぱちする目蓋の角度、速度、回数までばっちりきっちりトレースしているわっ!」
どうひいき目に評価してもド変態発言以外の何物でもなかった。おまわりさんこいつです。
もはや熱意を通り越し、妄執としか言いようがない。タイガーは真顔でとロートの間に立ち塞がった。視線ディフェンスの構えである。
数人が心底感動した! という顔をしているのには誰も突っ込まない。
なにせ旭海賊団、頭領であるに盲従、狂信しているやべータイプの船員が一定数存在しているので、大抵はその言動に慣れてしまっているのだ。ちなみにロートは常日頃から頭領であるを我がミューズと崇拝して止まない、わりとやべータイプに分類されるうちの一人である。どうしようもなかった。
「そうかそうか、技術部隊の精髄を尽くしたか。
……じゃがニョうロートや。船の修繕費積立分の使い込み、ワシは許しておらニュぞ?」
鷹揚に、ただひたすらに穏やかに。
するりと。それこそ蛇の静けさで忍び寄っていたニョン婆が、不自然なくらいのにこやかさでポン、と杖先をロートの肩の上に置く。その後ろには簀巻きにした技術部隊員をずーるずーると引きずっている、ゴルゴン三姉妹の姿。証人までばっちり確保済みらしい。
「……ほ、ほほほっなななななななんのことかしらぁああ……?」
天にも昇るご機嫌から一転。
だらだら冷や汗を滝のように流して目を泳がせながら、それでもなおとぼけてみせるロート。対するニョン婆はにこやかだ。ただしその額には、特大の青筋が浮いている。完全にブチギレ一歩手前だった。
「はぁん、頭領が……お二人も……ッ!」
「うわああああハンコック隊長が倒れたぁあああー!」
「はいはいあねさまお気を確かに。それで、こっちが本物の頭領でいいのよね? ……本当にすごい出来ね。生きてるみたいだわ」
「ウフフ、没収したらどこに飾ろうかしらね!」
幸せそうに倒れる姉を片手間にあしらいながら、人形を前に感嘆する三女と鼻歌交じりで夢を膨らませる次女。
そんな背後を顎で示し、ニョン婆は冷然と宣告した。
「作りかけの二体目も没収じゃからニョ」
「そんなニョン婆! アナタ人の心がないのっ!?」
「じゃっかましいわこのバカモン! そなたどれだけあの人形につぎ込んでると思っておるニョじゃ!! 許しておったら船団が立ち行かニュわ!!!!!」
「でもでもだって作りたかったんだものぉおお! 頭領含めての三部作なのよ!?! お願いニョン婆見逃してぇ!! きっと最高の出来になる、いいえしてみせるからせめて没収! 没収だけはぁああああ!!!」
「そういう! 問題では!! ニャいわーッ!!!!」
すがりついて慈悲を乞うロート、それをキレ気味に打ち据えるニョン婆。
「どれだけ使い込んだんだ、あいつは……?」とこめかみを押さえて問うタイガーに、ゴルゴン三姉妹の三女マリーゴールドは肩を竦めて「積み立てすっからかんにするくらいには」と返した。
横で聞いていた船員達が、思わずといった様子で遠い目になったり頭を抱えたり床に崩れ落ちたり。周囲の反応から、なんとはなしに不穏なものを感じ取ったらしい。子どもの船員達の中でも年長にあたるコアラが、躊躇いがちにタイガーの裾を引く。
「副長……あの、あたし達にできること、あるかな……?」
「ん、ああ……すまんな。不安にさせた。安心しろ、お前達が心配するほどの事じゃあないさ」
努めて優しい口調で告げながら、タイガーはコアラの頭をぽんぽん、と撫でる。それを見ていた子ども達が、「コアラだけずるーい! ふくちょーぼくもぉー!!」「あたしもー!」「なーでーて! なーでーてー!!」ときゃあきゃあ笑いながらタイガーの足元にまとわり付く。
「せめて、人形が売れれば良かったんだけどね」と、マリーゴールドが苦笑いを浮かべた。
なにせ、モノが頭領そっくりのお人形である。
生き写しといっても過言ではないそれを金銭と引き換えにするなんて、旭海賊団に所属する彼等にしてみれば、それこそ天地が引っくり返ってもありえない行為だった。
「頭領そっくりじゃなぁ」と、船員の一人が複雑な表情でぼやく。
そんなやりとりを耳にしていたからだろう。感情の伺えない硝子の双眸が、船員達、タイガー、そしてニョン婆とロートを順繰りに見る。そうしてはかくり、と小首を傾げて。
ばきん、
澄んだ破砕音が響く。
あっさりと。あまりにも唐突に、人形の顔面が抉り落とされる。
誰しもの思考が展開に追いつかない中。ようやく復活してきたハンコックが、顔の無くなった人形の姿に「――はうっ」とだけ言い残してまたもや昏倒した。が、静かな声で「ニョン婆」と呼ぶ。
「次で売る」
「はっ。では、そニョように」
一瞬で怒りを冷却されたらしい。姿勢を正したニョン婆が、即座に追従した。
頷き合い、粛々とした様子で証人と人形、ついでに長女を回収していくゴルゴン三姉妹(-1)。
ロートは現実に耐えられなかったようで、白目で泡を吹きながら、ニョン婆にずるずる引き摺られていく。集まっていた船員達も、他ならぬ頭領の決定にほっとした様子で、あるいは残念そうに各々の仕事へと戻っていく。
その様子を眺めながら、タイガーはなんとはなしにへと問うた。
「良かったのか? 。壊してしまって」
「……惜しかった?」
問い返され、タイガーは少しだけ答えに詰まった。
人形遊びの趣味は無い。だが、芸術など分からないタイガーの目から見ても、あの人形が壊すに惜しい美しさだったのは確かだ。「そうだな」と困り顔で呟いて、タイガーは瞬きもせず見据えてくるへと視線を合わせる。
「まあ、惜しくはあったが。……本物がいれば充分、だな」
「――そう」
の言葉は淡々としている。
表情は無く、凪いだ面差しは人形そのもの。
それでも、ほんの刹那。青磁の瞳を彩った暖かな色の感情に、タイガーは満足げに目を細めた。
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ちなみに後日、でふぉるめちゃんぬいぐるみが船団で大流行したそうな。