革命軍の思想は、旭海賊団に重なるところが多い。
 ほんの数年前まで、世界政府最大の懸念事項が世界最悪の犯罪者“革命家ドラゴン”と天竜人の怨敵にして奴隷の英雄“リトル・モンスター”の合流であった事からもそれは伺えるだろう。事実、革命軍に現在所属している者には旭海賊団の出身者が数多く含まれていた。海賊団が分裂した当時には誰かの庇護を必要とした少年少女も、今では立派な戦力として、元旭海賊団――現革命軍として戦っている。
 タイガーとしては、彼等が立派にやっているのが嬉しい反面、平穏に暮らせそうにない道を選んだことに複雑な気持ちもあった。叶うならその戦いが、明るい未来へと繋がるものであって欲しい。そう願う。

「もう行くのか」
「ああ。あまり長居しても、迷惑になるだろう」

 名残を惜しむ男の言葉に、肩を竦めて荷物を担ぎ直す。
 旭海賊団は分裂し、もっとも政府に警戒されていた“リトル・モンスター”の行方は杳として知れない。となれば、彼女の片腕であったタイガーを確保しようとするのは、政府としては当然の選択と言えた。彼を捕らえられれば、今なお派手に暴れている元旭海賊団メンバーの意気を挫くことができる――と、考えているのだろう。
 “リトル・モンスター”の行方や生死に関して、何か掴んでいるのではないかという期待もありそうだった。

「心外だな。おまえ一人くらい、匿える余裕はあるつもりだが」

 皮肉めいた事を口にするも、男の顔は笑っている。
 本気で腹を立てている訳ではないのだろう。気弱な子どもなら恐怖でひきつけを起こしそうな程度には強面な男であったが、その笑顔は造作に反して人懐こく、愛嬌さえ感じさせた。

「知っている。が、養われの身になるには早いだろう? まだ若いぞ、おれは」
「隠居するにもまだ早いだろう。革命軍に来てくれれば、俺としても有難いんだが」
「……またその話か。懲りないな、ドラゴン」
「フ。生憎、諦めは悪い方でな」

 さて、これで何度目の勧誘だったか。
 断られるのは分かっているだろうに、顔を会わせる度に勧誘してくるのだから困ったものだ。
 ドラゴンとしては万が一にもタイガーを仲間にできたらしめたもの、くらいの感覚でいるのだろうけれど、毎回毎回断るのも地味に良心が咎めるのである。まあ、頷く予定はこの先も永遠に無いのだが。

「すまんが、お断りだ。が拗ねる」
「そうか。残念だ」


 ――“貴方を、私に頂戴”


 あの日、あの時、あの瞬間から。タイガーは、ただ一人だけのものだった。
 だからどれだけ熱心に勧誘されようと、革命軍には所属できない。ドラゴンの下にはつけない。
 タイガーが革命軍に入るとしたら、それは行方の知れない“リトル・モンスター”が。が、ドラゴンに味方すると決めた時だけだ。縛られる事、命令される事を誰より何より嫌う彼女の場合は“味方する”イコール“ぶちのめす対象から除外する”だったりするので、結果的にタイガーが頭を抱えて制止と後始末に奔走する羽目になりそうだが、それでも後始末要員が増えてくれるならタイガーとしても願ったり叶ったりである。
 懸念事項があるとすれば、ドラゴンも何気に自由人気質な辺りか。まぁ、その辺りは革命軍の幹部陣がどうにかするだろう。
 ふ、と目元を緩ませる。どうにもこうにも、彼のよく知る“王”の資質持ち達は身勝手でいけない。それすら仕方ない、と許してしまえる魅力があるだけに、余計にタチが悪いのである。振り回されるのはいつだって、周囲の人間だ。

「じゃあな、ドラゴン。また会おう」
「ああ。次に会う時には、かの英雄殿と一緒なのを期待している」

 “リトル・モンスター”生存説は、彼女がいなくなってから八年近く経った今でも根強い。
 の幼少期を誰も知らない。初頭手配されて以降、その足取りを誰にも気取られず潜伏し続けた経緯があるからこそ、政府も彼女の死を信じ切れてはいないのだ。死体、あるいは“ドロドロの実”かその能力者が出ない限り、真実は誰にも分からない。海王類ひしめくカーム・ベルトに突っ込んで行く物好きは人魚や魚人にもさして存在しない為、最後にの供を許されたクイックもまた、見つかる可能性は限りなく薄かった。

 ドラゴンや革命軍にとっては、このまま見つからない方が都合が良いだろう。
 存在や所在が明らかになっている相手より、いるかも知れない人間のままであった方が、その対策に割くべきリソースが大きい。政府と敵対している彼等としては、その方が動きやすいはずだ。
 だと言うのに、ドラゴンはに会ってみたい、と親しみを込めて口にする。それが嘘偽り無い本心からなのが分かってしまうから、まったく、狡い男である。

――そうだな」

 タイガーも、とこの男を会わせてみたいと思っている。
 友が増える事は喜ばしい。彼女にとってもまた、彼は善き友となれるはずだ。



 今はいない彼女の話をしよう。
 “リトル・モンスター”と呼ばれた、と名乗った人間の話を。

 その歪な精神性は、言葉を交わした者であれば誰でも気付けた事だった。
 まして彼等は海賊団。寝食を、長い航海を共にする関係性なのだから、それは船員であれば誰もが知るところであった。それでもは愛された。歪に狂った心であっても、どうしようもなく壊れていても。彼女は船団の庇護者としては至極勤勉であったし、何より人間としての善性を失っていなかったからだ。子どもを愛し怪我人を労わり弱い者を守る人間であったからだ。
 復讐に狂う魔女であり、殺戮に歓喜する怪物であったとしても、船員達にとって彼女は良き頭領であった。

 人は容易く鬼になる。
 人は容易く怪物になる。

 笑いながら石を投げ、罵倒し、踏みつけ、尊厳を奪っていく人々よりも遥かに彼女は“人間”だった。
 自分達の利益の為だけに、光の下から彼等を暗がりに引き摺り込んだ連中などより余程まっとうだった。
 優しかった、慈悲深かった、などとは言うまい。は敵に対して、権力者に対しては化け物らしく容赦しなかった。刺して抉って削って潰して解して刻んで。筆舌に尽くし難いほど苛烈に、凄惨な責め苦を与えた。笑いながら殺していった。老若男女区別しなかった。目を背けずにはいられない残忍さもまた、間違いなく彼女の一面だった。
 その悍ましさを否定はすまい。自分達を追いやった者への憎しみもまた、船員の誰しもが抱くものであったのだから。は庇護者であると同時に、彼等の憎しみの代弁者でもあった。彼女の行う報復が凄絶を極めていたからこそ、彼等は心に巣食った暗い感情と無縁でいられた。穏やかに傷を癒していられたのだ。

 居場所を作りたい。

 時折。ほんの瞬くような間にだけ顔を覗かせる理知で以って、は語った。
 定住する場所を。流浪し、留まるところの無い船では無く、安心して暮らせる場所を。帰るべき場所を。
 天竜人から逃げ延びてなお、彼等に帰れる場所は無い。かつての故郷へ帰ろうにも、政府がそれを許さない。
 ただ、堂々と外を歩きたいだけだった。日の当たる場所を歩きたいだけだった。
 それが許されないのなら、それが許される場所を作ろうと彼女は言った。

 家を作ろう。帰るべき家を。

 は、夢見る眼差しでそう願った。
 まっとうに生きていける世界は未だ遠いけれど、せめて居場所を。あたたかな家を。
 やさしい、あたりまえに誰かの安寧を願えるような。
 夜明けの朝日を浴びながら、おだやかに悪夢から抜け出せるように。

 それこそが――怪物に成り果てた彼女の、唯一語った望みだった。
 誰が忘れても、タイガーだけは忘れてはいけない。そうでなくて、どうして希望を語れるだろう。
 彼には彼女ほどの力は無い。彼女の夢見た、帰るべき家は作れない。けれど、誰かの心に光は灯せる。生きる望みへ繋がる希望は、灯す事ができるのだ。絶望と苦難の道行きで、弱り果てた心が折れてしまわないように。


「あと、おねがいね」


 の言葉を思い出して、タイガーは笑う。
 過去を慈しみ、過去と歩む男は未来を愛しく思って笑う。彼女の残照を引き連れて、何処までも穏やかな顔で。

 何処へ行こう。見上げた空は美しい。

 海の青を反射した、深い紺碧の空。
 気ままに流れゆく白い雲。
 眩しく輝く太陽は中天に差しかかって、昼の訪れを示している。

「さぁ、次は何処を探そうか――

 伝えたい事があるのだ。たくさん、たくさんのことを話したい。
 希望を紡ごう。彼等の、タイガーの愛した“”という人間が、今も世界の何処かにいるという希望を灯していよう。
 いつか朝が去る日まで。夢の残り香を、誰もが必要としなくなるまで。帰るべき家へ辿り着けるまで。
 タイガーが死ぬその時まで、彼は彼女という希望の、担い手であろう。

 そうすれば、の祈りは潰えないのだと信じている。
 繋いだ手は、離れないのだと信じている。



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