戦争の狂気は、人を容易く獣以下の外道へと貶める。
 略奪や凌辱など言うまでも無く。笑いながら逃げ惑う女子どもを追い回しては引き摺り倒して弄び、老人や男が血と臓物の詰まった肉袋と化す。そこかしこに死体の転がる阿鼻叫喚。その母子とて例外では無かった。

 戦争に駆り出された夫はついに帰る事も無く、守ってくれる男手は無い。
 幼い娘の容姿が、人目を引いて優れていたのも災いした。
 これは売り物になると下卑た笑い声が響く。抵抗虚しく引き離され、あとはお定まりの展開。
 彼女が売り飛ばされなかったのは、娘同様に優れた容色であったが為。
 未だ年若くうつくしい女の扱いなど決まりきっている。男達は売る事を惜しんだ。惜しんだからと言って、それで扱いが良い訳でも無い。女性として、人間として考え得る限り最底辺の扱いを受けた。娼婦とて、これほどの外道な扱いには甘んじるまい。金を払っても断られる、語る事の憚られるような所業。

 それでも生きる事を諦めなかったのは、何処かへ売られていった娘の存在があったからだ。
 利口な娘だった。賢い娘だった。いっそ異常なほどの落ち着きを持った、理解力のある幼い娘であった。
 気味が悪いとは思わなかった。自分と夫に良く似た我が子。祖父譲りの美しい青磁色をした瞳も、父親によく似た利発さの滲み出る面差しも何もかも愛おしかった。

 きっと生きてる。
 きっと、迎えを待っている。

 それが支えだった。それだけを支えに彼女は生きていた。
 転機は唐突に訪れる。彼女を“飼って”いた男の一人が、幾ばくかの金銭と引き替えに彼女の事を売り渡した。
 何が何だか理解などできないまま、彼女を待っていたのは尋問の日々。

 王族を目にした時の絶望は、言葉では到底語り尽くせない。
 娘の居所を吐け、とあらゆる責め苦を受けた。気が狂うような拷問を受けた。
 知るはずがない。売られた娘の行方など彼女の方が知りたい。娘を奪われて今日まで、見知らぬ男達に囲われていた。その彼女に知る術があるはずなど無い。ただ断片的に知る事ができたのは、娘の生存。天竜人に売られたらしい娘が、その元から逃げ出したらしいという話。

 ――いきている!

 嬉しかった。誇らしかった。
 奴隷にされてなお挫けぬ娘を、抱き締めてあげたかった。
 良く頑張ったね、と頭を撫でて。キスをして。

 娘の笑顔が見たかった。得意げに煌めく瞳を見たかった。
 いつだって元気をくれる、太陽のような弾ける笑顔が見たかった。

 思い出すのは娘の、そして夫の姿ばかり。
 しあわせな記憶が走馬灯のように脳裏を過ぎり、彼女はひっそりと微笑みを零す。
 逃げ出す力なんてない。脱走を怖れて足の腱を切られた彼女に、逃げ出す術などありはしない。奇跡は起きない。魔法は無い。都合よく助けてくれるヒーローなんて何処にもいない。
 牢から引きずり出されたのは、昼と夜すら曖昧になった頃だった。突き倒されて転がり、繋がれた首輪を引きながら彼女は磔刑にされた。痛みも恐怖も擦り切れた。ただひたすらに凪いでいた。

 暮らしていた街。住み慣れた故郷。
 瓦礫と死体だらけになった街のかつての広場で、彼女は見せしめに掲げられる。
 許しを乞う声と啜り泣きと。貨物のように血塗れで、足元に転がる人々は果たして誰だったか。
 地獄の縮図の只中で、素知らぬ顔をした煌びやかな服の男が朗々と、罪状らしきものを読み上げる。

 それを取り巻く人々が叫ぶ。
 笑いながら、石を投げて彼等は叫ぶ。

 魔女め!
 魔女め!
 魔女め!
 魔女め!
 魔女め!

 よくも化け物を産んだものだと謗られる。楽しそうに。誰もが口々に責め立てる。
 反論はしない。喉を潰された彼女は最早、語る言葉を持ちはしない。
 もう動く事ができなくて。迎えに行く事も、待っている事もできなくて。

 どうしようも、なくなって。



「     」



 祈りを込めて瞳を閉じる。


 どうか神様、願わくば。
 あの子が、しあわせでありますよう。





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