転生者達とキャスターの耳目が集まる中、幕を上げた港の倉庫街での一戦。
 セイバー、ランサー、アーチャー、ライダーの英霊が対峙し、すわ乱戦かと思われた状況に登場したアサシンのマスター、言峰 綺礼の宣言に、いちはやく噛み付いたのはライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットだった。

「ふざけるなよ、あんた!
 いきなり出てきて中止宣言とか、一体何考えてるんだ!」

 当然と言えば当然の怒りである。
 サーヴァントが出揃い、ようやく開戦された聖杯戦争の矢先の通告。
 それぞれに聖杯にかける願望を胸に抱き、この戦いに挑んだ者としては到底承服できるはずもない。自身もアサシンを召喚したマスターであるはずなのだが、何故そんな事を言われるのか心底理解できないと言わんばかりの空気を露骨に漂わせつつ、綺礼はウェイバーを見据える。

「駄目かね」
「だ、だめに決まってんだろ!? せめて理由言えよばかぁああああああ!」

 奈落の視線に気押されながらも、きっちり意見を主張するウェイバー。
 その言葉に「ふむ」と呟き、綺礼はざっと周囲を一瞥する。
 半泣きのウェイバー。やりとりを興味深そうに、しかし真剣な目で見守るライダー。油断なく構えたままのランサー。綺礼を鋭く睨みつけるアイリスフィールと、それを庇うように立ちながらも動揺の見て取れるセイバー。
 それら全てを睥睨しながら、成り行きを静観するアーチャー。
 この場にいないマスターも、確実にパスを通じて見ている事だろう。
 綺礼はよく通る声で、朗々と告げる。

「聖杯に不具合が見つかった。
 最早願望機として正常に機能するかは疑わしく、しかし災いを振りまくのは確実だろう。
 ゆえに、私はアサシンのマスターとしてではなく教会の人間として、此処に聖杯戦争の中止を宣言する」
「なっ――

 その驚愕は、果たして誰が漏らしたものだったか。
 人間離れして麗しい容貌に不信を湛えて、アイリスフィールがまなじりを釣り上げる。

「信用ならないわね。監督役でもない貴方が宣言すべき事ではないし、そもそも本当に停戦するなら、御三家に話を通すべきではないのかしら?」

 冬木の聖杯はかつて間桐、遠坂、アインツベルンの三家が共同で製作したものだ。
 自分達の作り上げた傑作とも呼ぶべき魔術儀式。
 その機能の正常性が疑問視され、しかもその指摘をしたのは御三家でも外来の魔術師でもなく、本来であれば敵対関係にある聖堂教会の人間。更には事前に何一つとして根回しもなかったとなれば、喧嘩腰にもなろうというものである。

『私も聞きたいな、綺礼。これは一体どういう趣向なのかな?』

 アイリスフィールに追従するように、不自然なまでに穏やかな男の言葉が倉庫街に響く。
 信を置いた弟子の裏切り行為。家訓通りに優雅さを保ってはいても、平静の下の激情が透けて見えるようだった。無意識に綻びそうになる口元を辛うじて取り繕って、綺礼は神妙な面持ちで、大仰にかぶりを振る。

「異な事を仰る。このような瑣末事で師を煩わせるのは、弟子として甚だ遺憾であると考えたまで」

 表向きは既に決裂済みの師弟だ。
 故にこの勿体付けた挑発は、綺礼自身から遠坂 時臣に宛てた決闘状変わりであった。
 それが分からぬ程、時臣は愚かではない。瞬間、綺礼は確かに師とパスで繋がっている黄金のサーヴァントの瞳に、悦の色が瞬くのを見た。直に表情を伺えぬ事を至極残念に思いながら、綺礼は「それに、」と重々しい口調で続ける。

「正直、納得させるのが面倒でしたので」

 ぶっはぁ! とアーチャーが勢いよく吹き出した。
 真面目に戦争しようとしていた面々が、まぁ控えめに表現しても「ざけんじゃねぇぞこの野郎」といった面持ちで殺意を迸らせる空間の中、いかにも堪え切れぬといった体で哄笑するアーチャーと、「説得する気が感じられんのう」と呆れた様子で呟くライダー。
 その場の敵意を一身に浴びながらも、当人は至って涼しい顔で首を傾げ。

「では、聖杯戦争を中止する気はないと?」
「当然だ!」

 こめかみを引き攣らせ、一同を代表するようにセイバーが吼えた。


「……だ、そうだぞ」


 何処か面白がるような声音で、綺礼が誰かに告げる。
 セイバー達が警戒を強めるのと、告げられた“誰か”の嘆息混じりの声が響くのはほぼ同時であった。

「どうして私に振るの、御前は」

 闇に包まれた路地裏から、ずるり、ずるりと何かを引き摺る音と共に一人の女が姿を現す。
 茶色がかった長い赤髪をゆるく束ねた、たおやかな面立ちの女だ。
 特筆して優れた美貌の持ち主でこそないが、ただ歩くだけ、それだけの所作にすら洗練された気品が漂う。纏う雰囲気は見る者の肩から力を抜き、安堵をもたらすような穏やかなもの。
 しかし幾ら無害そうに見えたとしても、女が油断ならない存在である事を英霊達が見抜けない筈も無かった。

「切嗣!?」

 アイリスフィールが、女に引き摺られて現れた夫に悲鳴じみた叫びを上げる。
 とっさに駆け寄ろうとするも、それをセイバーが片手で制す。女がどれ程の技量の主であるかは分からずとも、この麗しい銀の貴婦人以上である事は疑いようもない。

「アイリスフィール、下がってください。私の後ろから決して出ないで」

 マスターを人質に取られた形となるセイバーの警戒など素知らぬふうに、女は綺礼に憮然とした様子で文句をつける。

「そもそも綺礼、話を省くにも程度がありましょうに」
「百聞は一見にしかず、だ。あれを見れば嫌でも納得するだろう」
「概ね同意するけれど御前、少しは繕いなさいな」

 ラスボスばりに煌めく全開笑顔を浮かべる綺礼に、女は呆れを隠さず肩を竦めて半歩下がる。

 一閃。

 先程まで女の頭蓋があった空間を通り過ぎ、剣がコンテナに突き刺さった。
 常人なら早贄宜しく串刺しとなる凶行だったが、その一撃に殺意の無かった事を見切っていたらしい、女に動揺や怒りの色はない。だが、それを差し引いても、意識を惹くにしては物騒なやり方であった。綺礼の顔が不機嫌に歪み、二人の視線がアーチャーへと向く。

「そこな雑種。
 中々に愉快な道化芝居であったが、王を前にして名乗りもせぬのは無礼であろう」

 笑いの余韻を引きずりながらも、アーチャーは尊大に街頭の上から二人を見下す。
 一般的に見れば無礼なのはどう考えてもアーチャーだが、そんな事を気にする半神でないのは確かである。

「これは失礼、『人』の王」

 切嗣の襟首を掴んだまま、女は踊るような軽やかさでアーチャーへ一礼してみせた。

「ですが、私は御身の臣下にあらぬ身。
 そして、この闘争の参加者ですら無き身で御座いますゆえ、名乗りの栄誉は身に余るもの。
 英霊、並びに魔術師の皆様におかれましては、冬木一般人代表、とでも御記憶頂ければ幸いで御座います」
「……一般人?」
「まあ、一般人にできる動きではないわなぁ」

 眉間に大渓谷を刻み込んだウェイバーが思わず突っ込み、ライダーが呑気にコメントする。
 先程のアーチャーの一撃。避けられたのが百歩譲って偶然であったとしても、殺されかけて顔色一つ変えない神経が、一般人のそれであるはずもない。
 綺礼が無駄に沈痛な面持ちで、女の肩を叩く。

「さすがに今のは無理がある」
「斯様に何処に出しても恥ずかしくない一般人で在りますのに。可笑しなこと」
「一般人を自称するなら、せめて左手の荷物を捨ててからにすべきではないのかね?」
「あら、私としたことが」

 うふふ、あははと緊張感を根こそぎ破壊しながら和やかに笑い合う二人に、真面目な騎士組とマスター達の苛立ちは高まるばかりだ。苛立ちを通り越した殺意すら纏って、地を這う声音でセイバーが問う。

「その一般人が、何をしにこの場へ来た」

 物理的に圧力すら伴う殺気に、しかし女は堪えた様子もなくおっとりと微笑む。

「異な事を仰る。先程綺礼が申し上げましたでしょう?」

 出来の悪い教え子を嗜めるような。
 駄々をこねる幼子を宥める母のような。

 そんな、ひどく優しげな口ぶりで、女は甘い琥珀の眼差しを柔らかに細めて。

「聖杯戦争を中止しに、と」

 宣言と、黒い靄を纏った人影が女を強襲するのはほぼ同時だった。
 コンクリートが破片を撒き散らして抉り飛ばされ、見るも無残なクレーターと化す。人間など容易く肉塊にする猛攻に、アイリスフィールが一拍遅れて悲哀に満ちた絶叫を上げる。魔力の靄を纏わりつかせ、現界した漆黒のサーヴァントが咆哮した。

AAA■A■■■LaL■■aLa■LaL■■■■aie!!

「いやぁあああっ! きりつぐ、きりつぐぅっ!!」
「っ駄目です!」

 狂乱し、今にも駆け寄ろうとするアイリスフィールを制しながら、セイバーは漆黒のサーヴァントへと視線を据えた。立っているだけで周囲を圧倒する禍々しい気配、理性を伴わない獣同然の唸り声。
 性能だけなら全サーヴァント中でも最強と呼べるバーサーカーであるのは疑いようもない。
 喉を嗄らして最愛の夫の名を叫ぶアイリスフィールを抑え込みながら、セイバーは内心で歯がみする。現時点、もっとも不利なのはマスターを質に取られ、左腕にハンデを負った自身である事を彼女は十分に理解していた。

「坊主よ。サーヴァントとしてはどの程度のモンだ?あれは」
「……分からない。まるっきり分からない」

 余裕を失わぬ、しかし薄らと戦意を伴うライダーの問いに、しかしウェイバーは苦々しげに呻く。視線をバーサーカーから外さぬままに、ライダーは片眉を跳ね上げた。

「なんだぁ? 貴様とてマスターの端くれであろうが。
 得手だの不得手だの、色々と“視える”ものなんだろうが?」
「だから! 見えないんだよ!
 あのサーヴァントはどういうことか分からないけど、ソレが見えないし分からないんだ!!」



「……う、ふふ……ぅ。しぶとい女、ねぇええええ……?」


 ぅわんぅわんぅわんぅわんぅわんぅわん――


 蟲が鳴く。羽音が響く。
 無数に蠢く蟲の群体が、暗闇の中から滲み出てくる。
 全身に粘ついて絡む、蕩けた飴のような。
 舌先に何時までも纏わりつく、過ぎた甘さの砂糖菓子のような。

 空気を汚染して、鼓膜を侵して、頭蓋へ蜂蜜を流し込まれるような。そんな、ひどく甘ったるい声で、口調で、蟲を従え、路地から姿を表したセーラー服の少女は艶然と嗤った。
 どろぅりと昏く澱んだ少女の瞳を熱心に注がれ、バーサーカーの間合いから外れた場所に、さも何事もなかったかの如く佇む女は、困ったとでも言いたげに頬に手を当てて小首を傾げる。

「一般人であると申し上げましたに、斯様に手荒な扱いを受けるとは悲しいこと。
 さて。貴方も、聖杯が既に呪詛の器でしかないと知って尚、欲しいと?」

 女の問いに、バーサーカーのマスターであろう少女は「くふぅ、」と奇妙に喉を鳴らす。
 異様。そうとしか形容できない歪な笑みに、ウェイバーが引き攣れた悲鳴を零した。豪胆なライダーですら、口をへの字に曲げている。うそ寒い少女の笑顔を、滑稽な催しでも見るような目で眺めているのは、この場においてはアーチャーくらいなものだろう。
 さらりと明かされた不具合の内容の真偽を疑いつつも、参加者達が成り行きを見守る中。
 ゆるぅりと、少女の目が眇められて。

「………あんたぁ、喋りすぎよぉ」

 それが答えだった。


AAA■A■■■LaL■A■A■■LaL■aLa■■■■a■aLa■ie!!

 マスターの意を受け、バーサーカーが女に向かって疾駆する。
 猛然と迫るバーサーカーの巨体に、しかし先程と違い、女は避ける様子を見せない。
 避けられないのではなく、避ける必要が無かったので。

 文字通りに空間を裂き、猛スピードで跳び出してきたジープが勢い良く目前まで迫ったバーサーカーを轢き飛ばす。ジープの後部座席から綺礼が黒鍵を少女へと投擲するのを横目に、女はスピードを緩める気配の無い車へと飛び乗った。力いっぱい踏まれた切嗣が呻いたが、それを無視して女は運転席へと声をかける。

「ではサキ、お願い致します」
「任せて頂戴、あたしの走りは世界最強よ!」

 頼もしくも熱意に煌めくサムズアップ付きで、マクバク族の王女様は頼もしく快諾して見せた。
 それに満足げに頷き、手回し良く投げ渡されたマイクを受け取って、女は置き去りにしつつある参加者達に向けて宣言する。

「さぁさ皆様、真実を恐れぬのであれば、求めた宝の正体を知る勇気があると云うならば!
 ――おいでませ、大聖杯の膝元まで!」

 混沌の一夜は、幕を上げたばかりだ。




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