霊剣たる山姥切の写しとして、己は産み出された。
 本科山姥切、本作長義は名だたる霊剣である。その写しとして産み出された己を見て、人間達はしきりに下馬評をやってくれた。

「美事なもんだなあ。流石は国広の作よ」といっている。
「国広も第一の傑作と、鼻高々であるそうだ」ともいっている。
 そうかと思うと、「へえ写しか。流石はあの山姥切の写しだ、出来が好いものだね」といった男がある。
「刀剣など斬れれば良いのだ。なんだって良い。本科であろうが写しであろうが、どちらでも斬れる刀であれば構うまい」といった男もある。

 本科山姥切、本作長義は名だたる霊剣である。長義の傑作であると謳われている。
 己も評価はされている。流石はあの国広の作よと称えられる。良い切れ味であると賞賛される。思い出したように「流石はあの山姥切の写しよ」と誇られる。

 己は良き刀である。人間はそう讃える。
 己は美しい刀である。人間はそう讃える。
 己は国広第一の傑作である。その出来は本科にとて劣らない。

 己の父、国広は写しの名人である。

 比較される。当初はそのようなものかと思った。比較される。本作長義と別れても尚。比較される。お前は山姥を斬れるのか、と。比較される。それは写しの方であると。比較される。本科とどちらの方がより優れているものかと。比較される。その刀は国広の傑作だ、そちらではないのかと。比較される。山姥切は長義の傑作だろう、と。比較される。何度も何度も何度も何度も比較されて比較されて比較され続ける。

 己等のどちらがより優れた刀剣であるのかと、人間達はとかく優劣をつけたがる。

 長義は良き刀である。傑作と呼ぶに相応しい名剣である。
 しかし、己とて国広の傑作である。己は本科にとて劣らぬはずである。


「俺は、いつまで比較されればいい……!」


 吼えた所で、人間に己の言葉は届かない。
 ただ、どちらが勝っているかと好き勝手な事を囀るばかりである。
 写しとして作られた。ただそれだけの事である。何故写しであるからと、それだけの理由で謂れなき扱いに甘んじなければならない。傑作といえど、写しに価値などないとでも言うのか。

 どれほどまでに願っても、写しは決して本科とはなれない。
 そうしてこれから先もずっと、己は本科と比較され続けるのである。



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