こんな夢を見た。
月の翳った夜道を歩いていると、石灯籠の淡い光に照らされて、幼子を抱いた女が立っている。女は長い髪を垂らして、幼子を足元へ降ろす。しらじらと闇夜に浮かぶ白い面は整っているのに、不思議とその表情は伺えない。女は静かな声で、お殿様に抱いておもらいという。
幼子がよちよちとした足取りで己の方へと向かってくる。顔は黒く塗り込められているのに、その視線が奇妙な事に、己を判然捉えていたのではて、と青江は首を傾げた。
しかし女は静かな声で、お殿様に抱いておもらいと繰り返す。
青江は一介の刀に過ぎぬ。だというのに抱いてもらえ、とは奇妙な事である。
青江は首を捻った。首を捻りながら、足元に纏わろうとする幼子を一刀の下に斬り捨てた。
幼子は煙のように掻き消えた。
石灯籠の下で、女がゆるりと面を上げる。
闇夜にそのまま融ける真黒の長い髪に縁取られた、白い顔が青江を見た。
冴え冴えと白い肌に、血の通う温かみは一片も無い。
ぽってりと赤く熟れた唇が、ニッカリと笑みを形作る。
両腕を青江に差し出して、女が笑った。
「わたくしも、抱いてくださりませ――」
青江は無言で刀を返した。
女の姿が霧散する。ごとり、と石灯籠が真二つとなって転がった。
誰もいなくなった場所で、青江は腰を下ろす。
己を扱うべき人間がいない。刀の身としてはにっちもさっちも行かぬので、この場所で途方に暮れる以外、成す事が見当たらなかったのである。
真二つになった石灯籠を眺める。
大小と身二つになったそれは、成程、女と幼子のようであった。
日が昇れば朝露が石をしっとりと潤し、つるりとした断面を滑り落ちて流れてゆく。
湿った土と、草の匂いがむせ返る程に立ち込める。やがてそれらは日差しを浴びて渇き、落日の赤が周囲を染め上げて夜の帳を降ろす。一つ。
しばらくするとまたお天道様がのそりと身を起こして周囲を照らし出す。二つ。
青江は勘定した。
一つ、一つと昇っては落ちる日を勘定しているうちに、身二つとなった石灯籠はすっかりと苔に覆われ、最早往時の面影を残すのみとなってしまった。迎えは未だに来ない。
勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。
焦りは無かったが、いささか変化の無さに倦んできたのも事実である。
いつまで待たされるものやら、と投げやりな気持ちで思い出した。
「京極に過ぎたるものは三つあり ニッカリ茶壺に多賀越中」
真二つになった石灯籠から、朗々たる声が響く。
刀が閃く。幼子とも女ともつかぬ哄笑が遠ざかる。間合いは確りと計ったはずである。
憮然とした心持ちで己の刀身を見れば成程、随分と磨上られていた。
これでは、間合いを測り損ねるのも道理である。
「やれやれ。随分と、君色に染めてくれたものだね?」
返る言葉は無い。
誰かが遠くで青江、と呼んだ。
それに応えて腰を上げる。爪先が、足元に転がった地蔵の首をコツリと蹴った。
ひやりと夜露に湿ったざらつく石肌に手を触れて、恭しく掲げ持つ。柔和な輪郭を描いた地蔵は目を伏せ、慈愛に満ちた眼差しを青江に降り注いでいる。濡れて艶めく石の唇に、自身のそれを押し当てる。見上げた遠い空では、四つ目結の星が瞬いている。
ニッカリと、青江は笑った。
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