ぱらり、と借りてきた本のページがめくれる。 まるで見えない誰かが読んでいるかのように次々と新たなページを表す本をそのままに、は噴水に背を預けたまま「そういやさ、」と独り言のように呟いた。 「氷月、なんであたしの事“主殿”って呼んでんの?」 背後で水音。 噴水の中から、氷月が顔を覗かせる。 『その場のノリです』 「や、意味分からんのですが」 そもそも自身は、ポケモンと人間は対等だと考えている。 トレーナーは友人や家族、一行のまとめ役であり、どちらが主でどちらが従などという考えは一切無い。 だから呼び方に萌えたりとか萌えたりとか萌えたりとかする事はあっても、別に強制するような事はしていないのだ。 普段は持ち前のアバウト精神でまったくこれっぽっちもゾウリムシの繊毛ほどにも考えていないが、時々疑問に感じるのも確かである。半眼で突っ込むを、氷月は鼻で笑う。 『主殿もよくその場のノリで動いているじゃありませんか、後先微塵も考えないで。 本能と反射神経だけが取り得というのは貴方らしいですが、少しは頭脳労働でもされたら如何です』 「あたしは後先考えられないんじゃなくて、考えないだけだから問題なっしんぐ!」 『どちらも大差ありませんよ人間外生命体』 「人間じゃなかったら何なのさあたしはっ!?」 『多細胞生物、セクハラ好きの変態、電波女、無謀の代名詞、生きた暴走大爆発。まだまだありますが?』 「ぬぅうううううううううう」 心情的には否定したい。 否定したいが、一瞬でもあながちハズレでも無いなぁと思ってしまった時点での負けは確定したようなものだった。 反論できない悔しさに、無意味な唸り声を上げる。 『まぁ、ノリというのは単なるジョークですが』 「いきなり話戻しやがりおった?!つか冗談に聞こえなかったっつの!!」 さらりと成された補足に、反射で振り返って突っ込む。 しかし面の皮の厚さでは定評のある氷月が、そんな突っ込みで殊勝になるはずも無かった。 『名前で呼ぶのは認めた相手だけと決めてるんですよ』 「おいコラ、何事も無かったかのように話を・・・・・・・・・・・・って」 文句を途中まで言って、そこで氷月の発言の意味におぼろげながらも気付いたらしかった。 ぱちぱち、と不思議と疑問の混ざり合った表情で瞬きを数回。 どうやら明確に言った事を理解したらしく、は眉根を寄せて唇を尖らせる。 「つまりあたしは名前呼ぶほどの価値を認められてないってか?」 『見てても付き合ってても飽きないのは間違いありませんがねぇ』 返ってきた遠回しな肯定に、はヤンキー座りで氷月に向き直った。 「今から呼べ今すぐ呼べてゆうか即座に呼べ」 『命令口調で言われても従う気は毛頭ありませんよ?』 「ぬああああ!あたしの何が問題だっちゅーねぇええーん! 品行方正!春風駘蕩!成績優秀!温厚篤実!眉目秀麗!才気煥発! ほらあたしってば完璧無比!ぎょーくせーきこーんごーう!!」 まるでダダっ子のように叫びまくる。 しかし内容は 大嘘が大量混入されまくりである。 『言葉の意味が分かっているとは到底思えませんね』 「失礼な、分かっているとも!“ちゃんって我田引水が得意だよね”とまで言われたこのあたしですぜ!?」 『それで嬉しいなんて、大層脳細胞が死滅していらっしゃいますねぇ主殿』 「主殿ってのきーんーしー!ほらって呼ぶ!へいカモーン!!」 まるで挑発するような手招きであるが、目はかなりマジだった。 そんなを馬鹿にするように――――というか確実に馬鹿にしているとしか思いようの無い、明らかに見下した余裕の微笑みで氷月は挑発以外の何物でも無い事を言い切る。 『呼んで欲しいんだったら、私に負けを認めさせてみる事ですね』 「よぉおおっしそのケンカ買ったぁ!」 すっぱーんっ!と勢い良く中指おったてて、は即座に請け負った。 仁王立ちして腰に手をあて、ビッシィ!と叩きつける勢いで氷月を指差し。 「覚悟しときなよ、絶っっ対!名前で呼ばせてみせるからね!!」 『不快なので指差さないで下さいね♪』 不遜な笑みに返されたのは、噴水の水という名の物理攻撃だったという。 口にはしない。 本当はもう、白旗を上げているだなんて。 ( 『秘密ですけどね』 「つめたぁあーっっ!?!」 ) TOP 「春風駘蕩」:のんびり温和な性格や態度。 「温厚篤実」:穏やかで真面目、情が厚い事。 「我田引水」:自分に都合のいいようにつじつまを合わせる事。 |