寄せては返す波の音が、我が物顔で鳴り響く。
 場を支配する空気は鉛以上に重く、一刀両断されそうな程に鋭利に研ぎ澄まされている。
 氷タイプでもあるまいに全身から冷気を発する二匹の様子に、チーム“常夜”のサブリーダーであるアチャモと、未来からの客であり仲間で友人のセレビィは片や顔を青くしながらおろおろし、片や冷や汗を流しながらちょっと遠い目をしていた。

 “常夜”のアジト、サメハダ岩にて。

 周囲の様子そっちのけに、チーム“常夜”のリーダーである元人間のゴンベと、かつてその敵として命のやり取りをしてきたディアルガの腹心であるヨノワールは、氷点下の無表情のままに視線で火花を散らす。
 急須を持ってきたゴマゾウが、緊迫しきった空気に微塵も臆する事無くお茶のお代わりを手際よく注ぐ。
 明らかに長居する気は無いらしい仲間の足をとっさに掴んで、アチャモは潤んだ視線で懇願した。

(ノイン行かないでよ! ワタシもうこの空間にイデアと残されるのヤダ!)
(僕になんとかしろって言うの? 無茶言うねヒノ)
(お願い! この状況下で動じてないノインだけが頼りなのよ!)
(そう言われてもね……)

 サブリーダーの半泣きなアイコンタクトに、ゴマゾウはリーダーのゴンベとその正面に座るヨノワールを交互に見やる。そして一つ頷くと、再度サブリーダーを見て首を振った。横に。

(無・理。)
(そんなぁ!)
(そもそも事情だって僕は知らないしね。まぁ、いざとなったら泣き落とせば? ネルは君に甘いしね)

 まぁお茶菓子出してあげるから頑張れ、とやっぱり視線だけで投げやりに励まされ、アチャモはがっくりと肩を落とした。そのやり取りを見ていたセレビィが、感心と呆れが半々の様子で「どうして視線だけで通じ合えてるのかしら」と小さく呟く。

 現在の“未来”を伝えるために、セレビィがこちらへと顔を見せにくるようになったのはさほど昔の事では無い。
 互いの無事を喜び、祝い、そしてゴンベが人間時代の記憶を取り戻した事に驚きながらも安心し。
 そうやって、忙しい未来世界復興の合間を縫って来訪するうち、一度ネルを未来世界へ連れ帰れないか?とセレビィは考えるようになっていた。彼女はすっかり過去に定着してしまっているとはいえ、元々は未来の人間だ。最終的に未来へ戻るにしても、このまま過去に居続けるにしても、かつて育った世界がどうなったのか、結果を実際に己の目で見る権利がある。
 記憶が戻ったなら、それはなおさらだ。
 暗黒に閉ざされた未来の中、ネルは光を追い求め続けた。
 だからこそ、求めた光に溢れた世界を。“光に繋がった未来”を、見せてあげたいと思ったのだ。
 ……まぁ、ジュプトルと会わせる事についてはあんまり気乗りがしていないのだが。
 ただ、未来に連れていくには一つ問題があった。

 それは、ヨノワールの存在だ。

 昔のままのネルであれば、敵対関係で無くなったヨノワールに手を出す事は無かっただろう。
 彼女は光に焦がれると同じくらいに世界を愛していた。たとえ時間が止まっていても、その有様さえ含めて万物等しく慈しみ、惜しみなく情を注いだ。いつか壊すと決めていて、なお。
 愛して愛して愛して愛する。そして、それ故に壊す。跡形も無く。

 ひどい矛盾だ、とセレビィは思う。
 しかしセレビィは、“人間のネル”が負の感情を欠片なりとも纏う姿を目にした事は一度もない。
 彼女は真実、世界の総てをまるごと愛し。そして、だからこそ壊す事に。共に消える事に、ほんの少しの躊躇いも無かった。

 けれど、今は違う。
 怒り、泣き、笑い、呆れ。喜びも悲しみも憎悪も敵意も、悪意だって抱く。
 その有様は以前よりよほど理解できるものであり、だからこそ、ヨノワールへの対応は予測できない。
 かつてのような愛ではなくとも赦しを与え、その凡てを許容するのか。
 それとも何処までも感情に従い、憎しみに頭を垂れるのか。

 アチャモとセレビィがはらはらした面持ちで見守る中、二匹の間の沈黙は長い。
 セレビィが未来であった事、そして未来の“現在”を語ってから、ずっとだ。
 そんな彼等の様子に、セレビィはジュプトルをこの場に連れてこなかった事を後悔した。

(ネルの記憶が戻ったからって、会わせたのは早計だったかしらね……)

 この“過去”で時の崩壊を食い止め、そして“未来”に光が戻って。
 それでも、新しいシナリオにかつての惨劇を二重写しに書き込まれた歴史の矛盾は数多く、故にこそ傷は深い。
 そう。暗黒に包まれていた時代を、もう消えてしまったはずの時代を、世界は忘れてはいないのだ。
 ゴンベとヨノワールの関係も同じ。過去の影は深く、長く。何処までも、ついてまわる。
 ふ、とゴンベがため息をついた。

「何も含むところが無い、とは言わないよ」
「……だろうな」

 出会った時から敵だった。最後には背を預け合って戦った、ジュプトルやセレビィとは訳が違う。
 共闘したのはゴンベが“ネル”だと気付く以前のただ一度。水のフロートを取り返しにいったエレキ平原で、それも助けられるような形で、だ。
 記憶の無いまま、それでも向けた信用と敬意は裏切りによって断ち切られた。
 人間だった頃の記憶にしても同様。奪い、奪われる。それがずっと変わらなかった関係だ。

「赦す気は無いし、あんたと手を取り合って仲良くやる気は更に無い。
 誰に何と言われようと、それを変えるつもりは無い」
「ネル……」

 表現しようのない複雑な悲しみを含んだ声で、アチャモが呟く。
 そんな相棒に少しだけ微笑んでみせて、ネルは雰囲気を和らげる。

「けど、恨んでも憎んでもいない。
 私達は敵で、互いに譲れないものがあったから戦った。
 それ以上でもそれ以下でもない。それだけの話だ」

その言葉に、ヨノワールは静かに片手で顔を覆う。
すぅ、とモノクルの奥で細められた眼差しは、ひどく凪いだものだった。

「それだけの話、か」
「それだけの話、だよ」

 ク、とヨノワールが喉の奥で嗤う。

「……赦されるとは、最初から考えていない。
 今のお前なら、罵倒の一つなりとも出てくると思っていたのだがな」
「最初から、犠牲は覚悟の上だった。
 無傷のままで理想を叶えられるなんて、そんな事は誰も考えていなかったよ」

 犠牲はつきものだった。
 ただ、当たり前に生きていく事にすら誰かという踏み台を必要とした。
 犠牲を望んだ訳ではない。進んで望むはずも無い。
 けれど、どうしても避けられない過程なのだと、………理解していた。せざるを得なかった。
 それは、何もネルに限った話では無い。

「ヨノワール。あんただって、犠牲にしたものはあったでしょう」

 言葉は返らない。
 ただ、沈黙だけがその内実を雄弁に物語る。
 ひどくほろ苦い笑みを零して、ネルは席を立った。

「……まぁ、“私”個人の意見はこんな所かな?」
「ネル……」

 アチャモの頭をぐりぐりと撫で、ゴンベはセレビィに頭を下げる。

「イデア、気を遣わせてごめん。……それと、ありがとう」
「ウフフッ。乱闘騒ぎになるんじゃないかってヒヤヒヤしたわよ?」
「ああ。それはこの後するから安心して♪」

 空気が凍った。

 この後?
 今、この後するって言った?

「え、あの、ネル、今?」
「ああうん、今言った事に偽りは無いよ? 別に殺したいとかむしろ死ねとか思ってはいないってのは本当」

 セレビィが凍りつき、アチャモが目を白黒させて困惑し、ヨノワールが表情を固くする。
 そんな三匹に先程までとはうって変わった軽い調子で言い切って、ゴンベは部屋の片隅に置かれていた袋の紐をほどいて中身を引っ張り出す。

「でも、それはあくまで私の事限定。ギルドやチームの仲間、トレジャータウンのみんな。
 それに何より、ヒノを騙してくれた点には結構思う事もあるんだよねぇ」

 にーっこりと、それはもう清々しいまでの顔でネルは笑う。
 その手にしっかりと握られたアイテムを見て、ヨノワールは反射的に椅子を蹴倒して後ずさった。

「さて、いっちょ逝ってみようかヨノワール☆」
「待て待てちょっと待てなんだその鞭と荒縄はーっ!?」

 その日サメハダ岩に木霊した絶叫は、プクリンギルドまで届いたそうな。

平行線に交差は無く


 敵対する理由は消え、かつてのように殺し合う事はもはや無い。
 それだけで、今は十分なのだと彼女は笑った。





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とりあえずネルは、別にヨノワールを嫌っても恨んでもいないのは確かです。
でも笑える具合に不幸になればいいなーとは思ってる。むしろほどよく不幸にしてみる方向で。