灰色の濃淡で描かれた世界の中を、鮮やかな色彩の少女は軽やかに駆ける。
不慣れな者ならば怪我をしそうな、足元の危うい獣道。
しかし少女は難なく道を抜け、その先に見つけた目的の色に、息を吸い込んで地面を蹴った。
「ルツー!」
「うわっ!?」
背中に強烈なタックルを受け、ルツと呼ばれた小柄な影は、あっさりと座っていた大岩から叩き落される。
タックルした本人は、地面に転がったキモリを見てけらけらと笑っていた。
「油断大敵ー。今のルツ、ジュカインおじさんが見てたら大目玉だよ?」
「うるさい、今のはまぐれだまぐれ! それと何度も言ってるだろ、オレはシュ・ヴァ・ル・ツ! 略して呼ぶな!!」
「シュヴァルツって言いにくいんだよね。ルツの方が呼びやすいし可愛いし」
「可愛くて嬉しいわけあるか! オレは雄だぞ!?」
勢い良く身を起こしたキモリが吼える。
幼い割には睨みつけてくる眼光はとてつもなく鋭かったが、その対象はさして堪えた様子も見せない。
身軽な動きで大岩から飛び降りると、少女は肉付きの薄い腕に抱えた二つのリンゴを見せ付けた。
「そんな事よりルツ、ほら見てよ! 今日は大収穫だよ!」
「そんな事って、お前なぁ……」
不満と憤りがないまぜになった表情で、キモリは口を尖らせる。
しかしすぐにため息をついて、少女の抱えたリンゴを片方、手に取った。
「ネル、これって半分ずつだろ? なんで二つも持って来てるんだよ」
「違うって。一人につきお一つずつ! だから二個持ってきたんだよ?」
くすくすと笑う少女の言葉に、キモリは驚きに目を見張る。
「珍しいな。オレ達みたいな半人前にまで、まるまる一個くれるなんて」
「言ったでしょ? “今日は大収穫”だって」
しげしげとリンゴを見詰めるキモリの横で、少女はリンゴに噛り付く。
収穫から長期間経過していたらしいリンゴは水分も抜けて変色した状態だったが、それでも貴重な食料だ。
世界が星の停止を向かえ、時が動く事を忘れてから早十数年の月日が流れた。
半世紀にさえ未だ届かぬ年月であっても、世界が色彩に溢れていた時代を遠い過去の話とするには充分すぎる。植物が果実を実らせる事はもはや無く、食料を巡る争奪戦が当然の日常だった。
「どこかの商隊でも落としてきたのか?」
「ううん。遠征先の廃墟に、手付かずの食料倉庫が残ってたんだって」
「へぇ。よく残ってたな」
「おかげで当分は食べ物に困らないで済むってさ」
日々の食事に事欠く生活は、ゴーストタイプのような一部を除いた多くの種族の衰退を招いた。子供の出生率も低く、例え産まれたとしても、栄養が慢性的に不足しているために生存率は恐ろしく低い。
キモリと並んでしなびたリンゴを食べながら、少女は大岩にもたれかかる。
「ごはんがいっぱい手に入ったし、誰も怪我しなかったし。いつもこうだといいのに」
「同感だ」
それが無理な話だ、という事は少女もキモリも理解していた。
食料は慢性的に不足しており、減りはしても増える事は有り得ない。
養うため、生きるためには探すか奪うかの2択のみ。
平穏は幻想で、敗北は死を招く。
かつてあった“当然”は、時代が許しはしない。
「……どうしてこんな世界になったんだろ」
青味がかった闇色の空を見上げて、少女はそんな疑問を口にする。
「ディアルガがおかしくなったから、だろ?」
「うーん……そうなんだけど」
一般的に知られている回答をするキモリに、少女は腕を組んで首を傾げる。
「そもそも、なんでディアルガはおかしくなったのかなーって」
「……それもそうだな」
首をひねる少女の横で、同じようにキモリも首をひねって呟く。
時を司るディアルガがおかしくなってしまった。だから、世界は星の停止を迎え、時間は動かなくなった。
それが多くの者が知る”理由“で、詳しい話など誰一人として知りはしない。
「時間が動いてた頃って、ごはんに困らなくって、明るくて、すごく素敵な世界だってその頃を知ってる大人はみんな言ってるけど。
そんなにいい世界だったのならさ、おかしくなる理由なんてなさそうだと思うんだ」
「いろんな音とか色とかあって、空から水とか氷が降ってきたりしてたんだったか。
めまぐるしすぎたとか、そんな理由じゃないか?」
「うーん……でも、昔はそれが当たり前だったんでしょ?」
「そう言われてもな。そもそも、考えても仕方無い事だろ。理由なんて」
「そうなんだけどね……」
どうにもならない事だ。
たとえ理由が解明されても、時は動き出しはしないし、元の世界も還っては来ない。
それを知るから少女はため息をついて、キモリもその話題を打ち切った。
撒かれたメビウスの種
「ホントに、どうにもならないのかなぁ……」
ちいさなちいさな、疑念の種。
それはいつかの未来に芽吹く、今は幼い世界の終り。
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