「お前の負けだ、クレセリア」

 弾んだ声、愉しげに細められた瞳、いびつに吊上げられた口の端。
 ああ。ほんとうに嬉しそう。
 貴方は、私の敗北をしんそこから嘲笑い、祝っているのですね。
 望んだ世界を顕現させ、邪魔な私が、貴方の世界から消え去る事を。

「……楽しそうですね、ダークライ」

 嗄れ朽ちて、既に唯の雑音でしかない声。
 零した自嘲の笑みすら、もはや形にさえなりはませんでした。
 吐息と共にかすれてただ、小さく淀んだ大気を震わす程度の事しか成し得ない。

 そう。

 私は負けたのです。
 けっして負けてはならぬ、敗北を赦されていなかった局面で。

 まんまと敗北を喫した、愚かしい敗残者。

「愉しいさ、愉しいとも。この闇の世界が成った時ほどでは無いがな」

 掠れた声でしたが、どうやらダークライには届いたようでした。
 上機嫌に、崩れ落ちて動けぬ私の頭を、無造作に掴んで引き摺り上げて。
 そうして、再度地面に叩きつけました。
 身体を襲う衝撃。ひゅう、と何処かで空気が漏れる音。痙攣する四肢。
 口の中に鉄錆の味が広がって、初めて私は、血を吐いている事に気付きました。
 まだそんな目をするのか、という声が聞こえたように思いましたが、定かではありません。

 時の壊れた世界。

 ひかりの、きえた世界。

 月光より凝った私にとって、この世界自体が毒でしかなく。
 それでもダークライを追う事を止めれば、弱体化の一途を辿るこの身ながらも、ほそぼそと生を繋ぐ程度はできたのでしょう。友と呼べる者達は、かような私の身さえも案じてくれました。
 けれどそれを、私は諾とする事ができませんでした。
 いいえ。そもそもこんな私が、どうして静かに暮らすのみの余生を許容できると云うでしょう。
 ダークライの存在を知り、野望を理解し、行動を追いながらも。ついに最後まで、止める事ができなかった。

 私は、しんじつ愚かしいのです。
 かつて私は、理解しようとしなかった。

 光に影があるように。
 物事は、どちらの面が欠けても成り立ってはゆかないのだと。
 光がまばゆければ、それだけ影は濃く、深くなるのだと。

 かつて私は、理解しようとはしなかった。

 時を同じくして凝った、闇たる貴方を。
 夜を厭い恐れる幼子のように、ただただ、目を背けるばかりで。
 貴方の抱えた圧倒的な虚無と孤独に、おびえて震えるばかりだったのです。

 かつて私は、理解しようとはしなかった。

 ひとり佇み続ける貴方に、手を差し伸べる者がいないという事実を。
 闇夜に月が寄り添うように、私と貴方も寄り添いあい、手を携える事ができたかも知れないのだと。
 光のもとで友と繋ぎ、握り合っていたこの手は、貴方と世界を繋ぐ、かけはしとなれたかも知れないのだと。

 気が付けば、ダークライが私の目を覗き込んでいました。
 まるで時の動いていた世界の空のように深く、美しいそらいろの瞳。

「思えば、お前との付き合いも長かったな?」

 ねえ、ダークライ。気付いていますか。
 貴方がこの闇の世界を語る時、眼差しに冷めた光が宿る事に。
 きっと、気付いていないのでしょうね。
 口で言う程に、貴方はこの壊れた世界を素晴らしい、こころよいものだとは思っていないと。

「だが、それも今日で終わる」

 ほんのすこし、間が空きました。
 私の反応を窺っているようでした。

 なにか言葉を返すべきだったのかも、しれません。

 けれどもはや、詮無き事。
 多くの選択を誤り続けた私には、なにもかも無為に思えてなりませんでした。

 せめて共に黄泉路へと考えてが、この有様。

 ダークライの手から解放されて、私は地面に倒れ伏し。
 最後に聞こえたのは喜びも興奮も消え失せた、無機質な別れの言葉でした。


「さよならだ、クレセリア」

月を呑み干す夜の闇


 貴方は最後まで、理解してはくれませんでしたね。

 この歪んだ世界は貴方を真実、癒しはしないと。
 孤独のまま、無謬の闇を深めるばかりなのだと。

 どうして、理解しあえなかったのでしょうね。

 私達は、一対であったのに。

 なにひとつとして、通じ合いはしなかった。
 わたしの、この心残りも。


 貴方をしんじつひとりにして逝く、わたしのこの、こころのこりも。


 ダークライ。



 あわれでおろかな、……わたしの兄弟。




TOP

ごとり、 (と、物言わぬ身体は地に堕ちて。)(そして月光の化身とされた女は、永遠に喪われた。)