■ 電話−言葉を偽り繋ぐ道具− 「ちいねェ!引っ越すってマジ!?」 久しぶりに電話してきた従妹は、最近ではあまりしなくなった呼び方で私を呼んだ。 小さい方の姉さんでちいねぇだったか。単純ではあるが分かりやすく、なおかつ懐かしい呼び方だ。 かつてこう呼びながら空中バックドロップショットやアイアンクローデラックスを繰り出してきた過去が黄泉還るものだ。 多少崖から突き落としてみたり飢えた兎の小屋にニンジン持たせて放り込んだりした事も良い思い出だ。 ………いかん、思考がそれてしまった。 悪い癖だな矯正する気は無いが。 「ああ。聞いていなかったか?」 返答しながら、片手で椅子を引き寄せて座る。 我が従妹殿はどうも長話させてくれる傾向が見られるので、やはり椅子は必須だな。 携帯できるアルミ椅子も良いが、やはり安楽椅子などが欲しいと希望するのは我が侭か。 「とーっぜん!でなきゃ聞かずに闇討ちしに行くっつーの」 「ふむ。選ぶならやはり月のない晩がベストポジションであり様式美であるが故に新月セレクトか?」 「イヤ、あえて早朝選んでみたいよーな」 ふ、きっと見事な奇襲を成してくれていた事だろう。 流石我が従妹だ。残念だ。 「転居といっても期間限定の永久物でない転居なのだがな。せいぜい三年程度のいわゆる気分転換的な類だ。 一応この件は叔母上がご存じの筈なのだが、聞かされていなかったのか?」 実体としては我が師の仕組んだお引っ越し☆修行であるのだが、そこは語る事もあるまい。 言わぬが花秘するが花、知らなくて良い事は世界に溢れているというものだ。 「んー…ってゆーか最近会ってないなー」 相変わらず忙しい家庭らしい。 児童の人格形成には多大な影響が及ぼされる時期では無かったろうか。 まぁ親は無くとも子は育つのだから無問題。 むしろまっとうに生きているからオールグリーンオケーだな。 「所でノイズ混じりになるのはやはり白布電波障害か」 「姉、時事ネタは廃れやすいからマジ自重」 む、問題発生か。残念だ。 やはり旬を過ぎた発生源は忘れ去られるものだな、遺憾である。 「あれを初めて見た時は尊敬を覚えたものだったのだが……」 どの星からの電波を受けとめればああも素晴らしく洗脳されるのか―――――未だ気になる命題の一つだ。 やはりチップを埋め込んだのだろうか。ウルトラ的な星雲産であろうか。 「うん、あれをまだらピンクに染め抜いたのは快感だった………」 うっとり恍惚とした様子の従妹殿。 やはり彼女の手によるものだったようだ。しかし、未だ甘いと言わざるを得ん。 「あれはまだらピンクよりはカラフルにマーブリングが相場だろう」 「えぇ〜…そんなにパクってったら罪悪感がもしもしと」 どこぞから失敬した道具だったか。 確かにそれなら入手経路の確定も困難だろう、どうせペンキなど届け出もしていないだろうし。 やったね☆気分とはこのことか、自重しなさに定評がある。流石従妹殿はブレんな。 「指紋は残してないな?」 「そんなドジふみませーん」 鮮やかな手腕だ。まぁ捕まった所でお茶目なイタズラですむだろう公共物でもないわけだし。 ああしかし窃盗は犯罪だった気もする。ペンキは後日返すべきか。 どのみち無理か。無念だ。本心ではないが。 「そちらは寒いか」 「おーあたりー。現在どっかの田舎、雪が腰まで降ってるから凍死するかも」 軽い口調だ。しかしやはり寒いんだろう、声が震えているぞ。 ふはは、私は家で温かいが。しかしどう放浪先で私の引っ越しを聞いたのだろう。 案外例の悪友殿に聞いたのかも知れん。ああしかし今回は一緒に放浪しにいったと記憶するな。 いやそんな瑣末事はどうでもいい事か。 「電話ボックスで凍死した人間もいるから、毛布は着るんだぞ」 「…………寝なきゃむもんだーい」 「それは由々しき行為だ。肌年齢はピチピチちっくに老化するぞ」 「なっっ…………………!!!!」 電話の向こうで衝撃を受けた様子だ。どさ、と音がした。 乙女たる者、日々気にすべき問題だな。 「で結局、どこに引っ越すのさ姉」 その話題はすでにそれたと思ったのだが。 もう一筋ずらしておくべきだったか。流石だ。 「上院とやらだ。このあいだ偵察に行ったが、非常に興味深い場所なのは確かだな」 摩訶不思議おんりーと言うべきか。ふしぎぱわー全開だったな、気分爽快だ。 我が師が修行場にと直々にセレクトした場所だけはあるというもの。天然の霊場が数多いのが素晴らしい。 「……此処より?」 「何だ、拗ねてるのか?」 「…………………………………………」 やはり拗ねているらしい。 我が従姉妹殿はいつからこんな甘えっ子になったのやら。 「………姉いなくなったら楽しみ減る」 ぶすっとした、ぶっきらぼうな言い方。 相も変わらず、本心は言い辛いか。愛すべき従妹殿の困った性情だな。 「ふふ、別に今生の別れでもあるまい。どのみち私の郷里はこちらだ」 姉の愛した紅蓮中学や、行くつもりだった清陵高校の学び舎に行けないのも哀しいがな。 友人連中どもと別れねばならんのも辛い。が、これもより良き未来への布石だ。永遠の別れでも無い。 「……姉」 「何だ」 「約束やぶったら、ごはん二度と作ってやんないからね!」 む、それは由々しき脅し文句だな。なんと胃袋にクリティカル攻撃である事か。 我が従妹殿の料理は絶品なのだから、これは留意しなければなるまい。 「ああ、心に留めておくとしよう」 言葉と同時に、遠くでケトルが鳴った。 ■ 喪失−失いたくなど、ないのに− 「…………消えた?」 ノイズと、嗚咽混じりの言葉に。 心臓が、止まった気がした。 初めて別れたのは、母だった。 幼い頃、仕事で殉職した母はとても強い人だった。 どんな事があっても信念を曲げず、誰を敵に回しても――――誇り高くあった人。 幼心に、そんな姿に焦がれた。 死者は戻ってこないと、知っていたけれど。 寂しくは、無かった。 その時はまだ、姉と父がいたから。 次にいなくなったのは、姉。 理性的で冷静な、何処までも静かな目をした人だった。 計算高く、目的のためなら何かを犠牲にしなければならないと―――その割り切りができる、けれどとても優しい姉。 死ではなく、原因不明の失踪。 そして今度は、親愛なる我が従妹と、その友人。 ああ。 ――――どうして、 拳を、固く握りしめる。 爪が皮膚に食い込み、皮が避ける程に。 耐えろ。 ともすれば叫び出したくなるような情動の波を、意思の力だけで押さえ込む。 湧き上がる衝動を表に出すのは、彼女の誇りが許さなかった。 「申し訳ない、叔母上。私も連絡は受けていない」 極力、平静である事を装って。 震える声は、隠しきれなかったけれど。 「ええ……一度、そちらに伺わせてもらいます」 手懸かりは必要だ。 ひょっとしたら、まだ間に合うかも知れないのだから。 気休めにもならない程に、わずかな希望。 「はい、明日にでも参ります。――――では」 通話が切れる。 受話器を握りしめ、中空を睨め付ける。 漆黒の瞳が、さらに昏く染まる。 その奥で踊り狂う感情は――――何とも、形容しがたいもので。 低く、呟く。 かつて、姉を失った時にも誓った言葉を。 「 取り返してみせる――――必ず。 」 かつてにも決意した、譲れぬ絶対。 誓いは、何処までも真剣で神聖だった。 ■ 蝉啼−すぐ隣にある、 − みぃんみぃんみぃんみぃん―――――― 蝉の鳴き声が、煩いまでに響く。 振り返ったその先に、はゆるり、と目を眇める。 何の変哲もない路地裏。陽の光が燦々と差し込んで濃い影がわだかまっている、それだけの。 「………どうかした?」 友人―――と、言えるのかどうかは中々微妙な処なのだが―――の奇妙な行動に、真は足を止めて声をかける。 初めて会った時から何処までもずれた言動が多い少女であったので、声をかけたのは、ただ歩みを促す程度の理由しかなかったのだけれど。 「とびら」 平坦、かつ端的な言葉が返ってきた事に真は目を見開いた。 言葉遊びの過ぎるとしては、異例のまともな返答、そして短さである。 思わず自身も路地裏へと視線を向けるが、深く暗い影の中に、少なくとも真の目に捉えられるモノは映らなかった。 みぃんみぃんみぃんみぃん―――――― 蝉の鳴き声が、響く。 夏場の陽気の只中であるというのに、真は急速に熱が奪われていくような心地に襲われた。 汗を含んだ衣服がじっとりと肌に張り付き、重みを増して感じられた。 は、動かない。ただじっと、暗い影を……否、その向こう側を凝視している。し続けて、いる。 「っ………!」 乾き切った喉から絞り出した叫びは、碌々言葉にすらならなかった。 しかしその呼びかけに、は振り返ってみせた。 つい先程まで纏っていた異様な雰囲気が嘘のように消え去り、真の肩から奇妙な緊張が抜ける。 「むぅ、大丈夫か平塚嬢。なんだかニワトリの断末魔とリキュールがジャミングしたみたいな声が出たが」 「…どんな声よ、それは!?」 一気に脱力した気分になって、真はこめかみを押さえた。 「説明を求められると鏡写しに困るような第六感。しかし私はあえて語ろう!それは言うなれば「やっぱりいいわ」 無表情にこてん、と首を傾けてみせる。 何やら倍増した疲労感にため息をついて、真は踵を返した。 まともに相手をしているのが馬鹿らしくなり、心配して損した、と小さくぼやく。 そんな真の後ろ姿と、路地裏とをは交互に見て。 "ダメだよ。” 路地裏の、向こう側。 ゆらめく陽炎のような、世界の歪。 常に移動し続ける―――<迷宮>への、入口。 “だってキミじゃあ、” ゆらゆらと、陽炎のように揺れる心。 それを見透かしたように、過去から響く声。 脳裏で高く、鈴のような愛らしい音を立てて愉しげに。 ”まだ、戻ってこれないでしょ?” 漆黒。 暗転。 絶対者の闇色が、嗤った。 「まだまだ、……………青いか」 ぽつり、 漏れ出た自嘲の呟きは、真の耳に届くことは無く。 蝉の鳴き声が響き続ける中で、少女は”日常“の友の背を追った。 |